日本人の宗教観・死生観その2
以上、元々の「仏の教え」を纏めてみると、
“人間というものは、必ず移り変わるものを永久に不変なものと錯覚し、無理な執着を作り出し、ここから「苦しみ」が始まる。
したがって、人生は「苦」が満ち満ちているのは事実であるが、それから逃げてはいけない。世の中に不変なものはなく、常に移り変わること(無常)を直視することが大切である。それを「諸行無常を悟る」という”
ということになるのであろうか!
すなわち、元々の仏教とは、自ら悟らない限り、人生の苦から逃れられないことになるのであろう!
そのことから、自らの悟りに至る修行は、民衆では無理であり中々拡がりを見せることができなかった。その為、以後、仏教は、自ら悟らなくても良い方法を様々考えだし、新しい仏教が生まれ、中身も変質していったのであろう。
以上が元々の神道あるいは仏教がどんなものであったのかの考察であるが、一言でいえば、「神道は民俗信仰に伴う文化」といえ、「仏教は自ら諸行無常の悟り」というになるのであろう。
3、原始神道・原始仏教の変容
(1)神道の理解の難しさと現在に至る歩み
① 神道の理解しがたいの要因
・ 聖典がないこと。
同じ聖典がない仏教は、経典(お経)が無数にあり、やはり
聖典というものがない儒教には論語等の著作があり、それなりの
考え方を辿るツールがあるが、神道はそれすらない。
・ 比べる、あるいは比較検討するものがないこと。
神道は日本独自のものだけに、ユダヤ教とキリスト教やインド
仏教と中国仏教等のように、比較類推できるものがない。
② 「神」とは何か、さらにその神を「祭る」とは何か
・ 神道において神とは、必ずしも人間でなくてもよく、「普通では
見られない極めて優れた特質を持っているもの」と考え、当然、神 の中には、良い神もいれば悪い神もあり、また人格神もあれば千年の杉があり、河も自然石も神となりうる。
・ そしてその神を祀るとは神を讃えることをいい、それは邪悪な神(御霊神)をも讃え、善神に変えること、とされている。
③ 仏教伝来の影響
・ 日本に伝わった仏教は、中国を経由して中国化し、漢語の仏典
があり、教団組織がある仏教である。この仏教の影響を受けて、仏
教における「仏陀」に対抗する如く、奈良時代以降、神道において
も「カミ」の観念を持ったと考えられる。
・ しかし、日本の神道は、「カミ」概念を持った以降も、自然崇拝、
諸物崇拝、祖先崇拝はやめなかった。
儒教、仏教の影響をこれほど強く受けながらも、実に幅広い
対象をカミと呼んだいたことになり、それが現在まで継承されて
いる極めて不思議な民族が日本人といえるだろう。
・ 逆に、仏教の方が「転生輪廻」(仏教は、人間を輪廻しつつ成仏を
目指す修行の主体と考えていた。すなわち、死んだ人間はすぐ別
の生命に再生し、この世界でまた生き、その輪廻から逃れられ
ない、それを逃れるためには“悟り”しかない、としていた)が、
日本においては、神道における「穢れ」の概念の影響(死者は
どこか遠くで穢れを清められたのちカミのようなものになると
いう祖先崇拝は日本独特の民俗信仰)を受け、人が死んでカミとなるなら、人が死んで仏になってもよいということで、仏教で初めて、輪廻を離脱して、極楽に往生する(浄土宗)ことを願うという概念がうまれ、仏教も日本独特の仏教に変容したのである。
※ 各宗派の紹介
現在の神道においては、各宗派が存在するが、神社庁に管轄され
ているいわゆる神社神道はほぼすべて、といえる。
ただし、現在では消滅している「国家神道」に関しては、現在に
も影響を残しているので以下の通り付言しておく。
<国家神道>
・明治維新より第二次世界大戦終結までにおいて国家の支援のもとに行われ
た神道で、現在は消滅している。
・ただ、この影響は現在も根強く残っており、神道と言えば天皇を絶対神と
するこの国家神道であるというイメージがある。
・すなわち、国家神道は、明治維新期に、キリスト教という非常に強い原理
を持つ西欧諸国に対抗するために、ある意味で一神教的(天皇絶対神)に
強化させた神道で、そのため、どうしても排他的、あるいは独善性を
もったものになる。
従来の神道は多神教で、すべての宗教の中で排他性、独善性の少ない宗教
であることから、まったく同次元で語ることができない代物であると
いえる。
原始仏教は2で述べたように、個人の救済が主眼となり、、そのため
に自分自身の悟りが必要となる。しかし、悟りを得るためには出家が
必要となり、地位も財産も家族も捨て去ることが必要で、誰も彼もでき
るわけではない。
そこで考え出さえれたのが、仏教の教えは個人の救済ではなく大衆を
救済する仏教であるとしたのである。これが大乗仏教といわれるもで、
従来の個人の救済を主眼とする仏教の小乗仏教(上座部仏教)とは一線
を画すことになる。
具体的にいうと、大乗仏教の基本的な考え方は、悟りを開いた釈迦(仏
陀)を敬うことで、その仏陀にすがって助けてもらおうという発想であ る。(他力本願の始まり)
この考え方はさらに発展し、遂には、「悟りを開いた仏陀」で良いな
らば、仏陀は釈迦1人だけでなくてもよい、となるわけで、各種の如来 (悟りを開いた人ー阿弥陀如来、薬師如来、大日如来)が出現したのであ る。
② 仏教の日本での変容
以上ののような内容の大乗仏教が日本に伝来したのであるが、その
時点では。各種の如来の仏像、経典(お経)が入ってきて、以降、飛
鳥、奈良、平安時代前期まで、国家鎮護の宗教として、もっぱらその
学術的研究が主としたものであった(南都六宗)。
その内容は、
「すべての経典はお釈迦様の説いたもので、お釈迦様は、最初は個人の
救済を説いた原始仏教を説いたが、それはあくまでも「方便」(決し て嘘ではない)であって、段階を追って大乗仏教的な教えになる」
としていた。
この大乗仏教の教えを、天台宗が各種経典を体系化・整理して、そ
の頂点が「妙法蓮華経」であると説いたのである。
③ その後の変遷
平安時代に入って、最澄によって天台の教えが拡がり、さらに空海に
よって密教がもたらされると南都六宗は大きく衰微した。
しかし、天皇・貴族の手厚い庇護により隆盛を極めたその天台、真言宗 も、「末法思想の影響による浄土思想」の拡がりにより鎌倉時代には、 称名念仏が興隆し、その中心の座を譲った。
同時に武士階級の台頭による禅宗も国家的保護を受け、称名念仏の
対極としてり勢威をふるったのである。