「敬して近寄らず」

 令和時代の天皇が誕生したことから、各メディアで天皇家上皇家、皇室関係の記事が溢れている。総じて、もろ手を挙げての歓迎ムードで、おおいに結構なことであるが、気にかかることは、最近月刊誌を中心に、皇室関係の記事が目立ち、それも右傾の方の雑誌が、礼賛記事を頻繁に特集していることである。

 これは、今の長期政権を誇る安倍首相自体が右傾の考え方で、かの有名な「国民会議」にも極めて近いのがその根源にあるのだろう。

 

 考えてみると、初代(といわれる)神武天皇以来126代、現在まで連綿として続く国家は世界に類のない誇るべき歴史かも知れないが、御存じの通り、天照大神を祖とする神話は、記紀を編纂した天武・持統天皇が意図したものであり、また、何回もその血筋が入れ替わっていることに加え、皇室内での血なまぐさい抗争も多々あり、決して「綺麗ごと」で話せる家系ではないのが事実である。この「天皇崇拝」の強烈な概念を持ち出したのは、明治政府の国家神道主義の所産であることを強く念頭に置くべきだろう。

 戦後70数年しかたっていない現在ではあるが、折角の民主主義を謳歌するのであれば、「現人神」から「国民の象徴」と変わった意味を、もう1度ゆっくりとかみしめてみる必要があるのではないだろうか!

 すなわち、天皇及び皇室を「敬い」はするものの、国民は、利用されても利用してもならず、ある一定の距離を保って天皇及び皇室をみる習慣を根ずかせたいものである。