閑話休題‐「令和」に関する雑学

1、来月1日から「平成→令和」になる。先に述べたように、元号を使っているのは日本だけでそれ自体にそれほど意味があるものではないが、日本人の無意識下に根差すものとして無視しえない。
 そこで、日本人として、「令和」に関する最低限の知識を心得ておくべきと考え、以下の通り雑学を披露しようと考えた。
 
2、まず「令和」という元号の出典と、その意図するところを紹介しよう。
(1)出典  万葉集巻5 梅花の歌32首の序文
    「初春の月にして、気淑(よ)く風らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は
     ”はいご”の香を薫らす」(書き下し文)
       → 時は初春の良き月、空気は美しく風も和かで、梅は鏡前で装うよう
         に白く咲き、蘭は身に帯びた香りのように香しい
    ただし、万葉仮名で書かれた和歌ではなく、漢文調で書かれた文章。
(2)意味
      人々が、美しく心寄せ合う中で、文化は花開く、との意味を込めている
      そうです。
      何故、こういう意味になるのかはよく分からない。
(3)反響
① 世論調査  共同通信 好感が持てる73.7%、もてない15.7
        読売新聞 同上     62%、 同上   31
② 海外メディア
   ・中国          「新元号、ついに脱中国」
   ・韓国(中央日報)    「国民 新時代に期待感」
      (ハンギョレ新聞) 「日本の伝統を重視する安倍首相の保守的
                な世界観が投影されたと解釈できる」
   ・イギリス(デイリー)  「元号を国書から選んだのは、政府の民族
                主義的傾倒がほのめかされている」
   ・アメリカ(CNN)    「右傾化を反映している」
③ その他
   ・相変わらずの朝日新聞
     学者に語らせた態で「元号そのものに罪はないが、元号という全国
     民が用いる文化的な制度について、特定の政治勢力に配慮して、
     冷静で丁寧な学術的検証が省かれたという疑念は拭えない。問題
     は、政権が元号発表を政治ショー化したことだ」と掲載。
      → 元号の成り立ちを考えて、元号制度そのものの反対ならまだ
        分かるが、本制度を全国民の文化制度と言い切っているとこ
        ろが面白い。
   ・相変わらずの野党
     社会民主党「令は命令の令であり、安倍政権が目指す、国民への
           規律や統制の強化がにじみ出ている」
     共産党元号はもともと中国由来で、君主が空間・時間を支配する
         もの。日本国憲法国民主権原則になじまない」
       → もういい加減、うんざりするコメントは控えた方がよい。
         現在の安倍1強の最大の原因が、自分たちのだらしなさ、と
         いうことに全く気付いていないのには、呆れる。
 
3、雑学の雑学
折角「令和」を紐解いたので、序に、過去の元号も見ておこう。 
(1)明治
① 出典 
     中国の五経の1つである易経
      「聖人南面して天下を聴き ”明”にしたがいて”治”む」
② 意味
        聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は
        明るい方向に向かって治まる、という意味
③ 経緯
    「明治改元にあたっては、学者の松平慶永がいくつか選び、それを慶応
    4年(明治元年)9月7日の夜、宮中賢所において、その選ばれた元号
    候補の中から明治天皇御自らくじを引いて御選出されました」
      (明治神宮ホームページ)
 (2)大正
   ① 出典
        「明治」と同じく易経
          「”大”亨は以って”正”天の道なり」
② 意味
     天が民の言葉を嘉納し、政が正しく行われる、という意味
③ 経緯
     明治45(1912)年、明治天皇が病気で昏睡状態となったことを
     受け、新元号作りが進められた。
     学者らが考案した数多くの候補から「大正」「天興」「興化」の3案
     に絞り込まれると、最終的に天皇の諮問機関である枢密院が「大正」
     を選択
(3)昭和
① 出典
     中国の五経の1つ書経
      「百姓”昭”明・協”和”万邦」
② 意味
        国民の平和と世界の共存・繁栄を願う、という意味
③ 経緯
        大正から昭和への改元では、世紀の大誤報で世を騒がせた「光文事件」
       が起きる。
       これは、大正天皇崩御直後に毎日新聞の前身である東京日日新聞は、
       他紙に先駆けて「新元号は光文」と号外で報じた。だが、政府が発表
       した新元号は「昭和」。スクープが一転、歴史に名を残す大誤報
       なっ事件である
 (4)平成
    ① 出典
        中国の史記及び書経
           「内”平”かに外”成”る」(史記)   
           「地”平”かに天”成”る」(書経
    ② 意味
        内外、天地ともに平和が達成される、という意味
 ③ 経緯
        平成が選ばれる際、「修文」と「正化」も候補にあったが、いずれも
        頭文字のアルファベットが「昭和」の「S」と同じで紛らわしいとの
        意見もあったことから「平成」になったとも言われている。
 
 雑学の雑学最後として慶應を採り上げる。
  江戸時代最後の元号である「慶應」は、中国の文選の中の「”慶”雲 ”応
  (まさ)”に輝くべし」という文から採ったもので、禁門の変や社会不安などの災異
  のために改元したものである。
  朝廷から京都所司代松平定敬に対して「乾永・文隆・大暦・万徳・慶応・明定・
  天政」の7案が伝えられ、定敬は幕府に報告したが、将軍・徳川家茂が朝廷に対して
  「何以被採用所存無之候」「叡慮之通慶応可然被存候」と述べて改元ついては
  孝明天皇の意向に全て従うという意見書を出し、江戸幕府創設以来幕府奏上して
  きた改元制度が終焉したことを示す改元であったそうだ。