天皇・皇后両陛下及び皇室報道について
先般のブログで女性天皇について述べたが、その中で、天皇家を含めて皇室のプライベートに関して、国民と全く同様な「自由」を謳歌することは自ずと制限が加えられるもの、と苦言を呈したが、今回は、天皇家及び皇室に関するマスコミの態度に苦言を呈する。
本日(5月29日)のトピックスニュースをトップから順に挙げると、
「美しく聡明な皇后雅子様が新時代の日本人女性のイメージを一新した」
「皇后外交デビューを果たした雅子様の語学力を育んだ小田和家の教育方針」
と、新天皇、新皇后に対する礼賛の嵐である。
一方、これに対して秋篠宮家に対しては、小室事件及び佳子さま発言事件以後、非常に冷たい記事が断然増えたきたようだ。
この現象を表現すればよいのだろう!
現天皇・皇后に対する批判っぽい記事(批判・中傷記事は書けないのはよく分かる)を書くとあらゆる方向から圧力が加えられるのを恐れているのかもしれない。
ただ、言論・表現の自由の番人を標榜するなら、「それでも」ということにはならないのだろうか!
小生が納得がいかないのは、雅子皇后がトランプ大統領夫妻を招いての初めての宮中晩さん会に、久方ぶりに最後まで出席なされたことを褒めていることである。最後まで出席するのは当たり前で、「適用障害という病気のために15年以上も欠席ないし途中退席をしていたのに、その病気の完治前にかかわらず頑張った」というのなら少しは話が分かる。
また、語学力が凄い、と持て囃しているが、天皇・皇后に求められるのは「語学力」ではない。国を象徴して、国民を思いやる心を包含する包容力である。ましてや、語学力を育んだ小和田家を礼賛するのは、提灯記事と言われても致し方ないであろう!(皇太子時代は、那須の御用邸で過ごされるより小和田家の別荘の方が長いという小和田家ベッタリを批判していたように思うが)
皇室に対して、特に天皇家に対しての記事については、自ずと自主規制が働くのはある程度やむを得ない、というものの、手のひら返しの礼賛記事ばかりを読まされる国民が、若干うんざりしているのに気が付いて欲しいい。