仏教・宗派・仏像とは何か?

仏教、宗派、仏像とは何か?
 
 日本人の身体の1部になっているように見える「仏教」であるが、実感として感じられるのは葬儀の時が典型であろう。かくいう小生もお袋の葬儀の時に、我が家の宗旨を知り、その宗旨に従う葬儀を執り行い、宗旨に従う戒名をもらい、宗旨に従うお墓を建てた。
 しかるに、それで本当に宗旨、ひいては仏教を理解したのか、というと「否」と答えざるを得ない。「神」と同じで何も分かっていないのである。
 そこで、まず、仏教の教えを学び、何故、これほど多くの宗派(宗旨)に分かれたのか、また、何故「仏像」を拝むのか、ということを調べてみることにした。古希を目前としたこの時期に「何をいまさら」と思われるかもしれないが、「学びに恥はなし」と思い、書き綴ってみたのが本稿である。
 
<1>仏教の教えとは?
 
1、この世の真理の鍵(個人的な悟りを得たいと求める人のため)
    ⇒ 生・老・病・死などの様々な人生苦からの解放(四苦八苦を滅する方法)
  
  では、具体的にどのように考えるのかの順路。
     1)一切皆苦 → 人生は思い通りにはならないことを知ること。
     ↓ ⇔ 何故ならないのか?
(2)諸行無常 → すべては移り変わるもの(世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態の
         ものは何1つない。なのに、お金や物、地位や名誉、人間関係や
         自分の肉体に至るまで、変わらないと思い込み、このままで
         あって欲しいと願う。ここに「執着」が生まれる。
         従って、すべてが無常の存在であることの理解が必須。
(3)諸法無我 → すべては繋がりの中で変化している。
         すなわち、すべての物事は因果関係により成り立ち、他と関係
        なしで独立して存在するものなどない。自然環境と同じように、
        絶妙なバランスの上に成り立っている。従って、自分の存在も、
        互いの関係の中で“生かされている”存在と気づく。
     ↓ ⇔ 正しく理解することにより、あらゆる現象に一喜一憂すること
         なく心の安定が得られる
(4)涅槃寂静 → 仏教の目指す悟り ⇔ 到達点
 
2、「苦」の正体
    四苦 ------- 死、病、老、生(生きる苦しみ)
    八苦 ------- 五蘊盛苦(ごうんじょうく) 
            → 心身が思うようにコントロールできない苦しみ
           愛別離苦(あいべつりく)
            → どんなに愛する人でもいつか必ず別れる苦しみ
           ・怨憎会苦(おんぞうえく)
            → 恨みや憎しみを抱く人と出会う苦しみ
           ・求不得苦(ぐふとっく)
            → お金やモノ、地位や名誉など、求めるものが得られない
              苦しみ
 
3、四諦八正道
   思い通りにならない人生を生き生きと生き抜くために、四諦八正道(したい
  はっしょうどう)を説く
    四諦 → 四苦八苦を滅する方法
     ・ 苦諦(くたい)
       人間の歴史始まって以来、暑さ寒さ、天変地異、飢饉、疫病、貧困、
       不仲、不安、老い、死 等に対する苦しみがあるが、そういうものだと
       諦める(悟る)。
     ・ 集諦(しったい)
       集というのは原因という意味で、人生苦にも必ず原因があり、その原因
       を探求し、反省し、その原因をはっきり諦める(悟るという意味)。
       すなわち、苦の原因は、人間の心の持ち方にある、ことを悟ること
     ・ 滅諦(めったい)
       苦の原因は人間の心の持ち方にあり、この心の持ち方を変えることに
       より、あらゆる苦悩は消滅する。
     ・ 道諦(どうたい)
        本当に苦を滅する道は、苦から逃れようとしないで、八正道を励行
              せよ、とする
                      
     ・ 正見(しょうけんー正しく物事を見る)
       自己中心的な見方や偏見を持たず、中道の見方をすること。
     ・ 正思(しょうしー正しく考える)
       自己本位に偏らず、真理に照らし物事を考えること。
     ・ 正語(しょうご―正しく語る)
       常の真理にあった言葉遣いをすること。
       すなわち、「口の四悪」(妄語、両舌、悪口、綺語)を行わないこと。
     ・ 正行(しょうぎょうー正しく行為する)
       本能に任せる生活ではなく、仏の戒めにかなった生活をすること。
     ・ 正命(しょうみょうー正しく生活する)
       衣食住その他の生活財を正しく求める、すなわち、人の迷惑になる仕事
              や世の中のためにならない職業によって生計は立てないこと。
     ・ 正精進(しょうしょうじん―正しく努力する)
       自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや
              わき道に逸れたりしないこと。
     ・ 正念(しょうめん―正しく念じる)
       正しい心を持ち、小我(自己本位)による分別をしないで、心を常に
              真理の方向に向けること。
     ・ 正定(しょうじょう―正しく心を決定させる)
       心の状態が真理に照らして正しい状態に定まること、すなわち、
              いったん決めた決心が外的要因や変化に迷わされないこと。
 
4、思うこと
結局、仏教の教えの根幹は、次のようになるのだろう。
 
人間というものは、必ず移り変わるものを永久に不変なものと錯覚し、無理な執着
作り出す。
人生は「苦」ばかりであるのは事実であるが、それから逃げてはいけない。世の中
不変なものはなく常に移り変わることを直視することが大切である。それが諸行
無常を悟ることである。
これを悟るためには、人生は苦であることを悟り、苦の原因を悟り、この原因が
心の持ちようであることを悟り、八正道を励行することである。
ということになるのであろう。
 
「人生は苦」ということはある程度理解の範囲であるが、結局、この世は諸行無常
あり、これを悟るために「八正道」を励行しろ、ということになると、これは
究極、「諦め」ないし「諦観」の心境になることなのではないだろうか、と考えて
しまう。
今現在、幸せと思っていてもそれは永遠には続かないもの、今現在希望に満ちた
仕事をしているがそれはいつかは失望に変わるもの、と思ったら何もする気がなく
なってしまうのではないだろうか。
人間は、錯覚があるからこそ、仏教用語でいえば「執着」があるからこそ、頑張れ
のではないだろうか?
 
残念ながら、修行は足りないせいか、仏教の教えそのものの中に、「なるほど」と
 小生が感得するところはなかったようだ。
 
そうはいっても、各宗派の中には、ひょっとして聞くべき道理があるかもしれない
 ので、先に進んでみる。