親の教育(置き去りしつけ事件)

まず、7歳の子の無事を神に感謝しよう!
その上で、本件について「親の教育」「親のしつけ」について様々な意見が評論家が述べている。(尾木ママの虐待意見はもっての外)
そこで、今回の事件をテーマに、家庭の教育について、個人的意見を述べる。
まず、この子は相当な腕白な子で、人や車に向かって石を投げている。親としては、当然相当な注意をしたのだろう。なぜなら、かってもこのような行為をしたとの報道もあることから、親として当然な行為といえる。
しかし、この子は、親の言うことを聞かず、帰りの車の中でも注意したのだろうが、全く反省が見られないことから、車から降ろし反省を促したのだろうが、1回目は心配で、すぐに戻り、車に乗せている。
ところが、この子は謝るどころか、反省もしていないことからもう1度車から降ろして置き去りにしたものである。
親としては、「人に迷惑をかけるな!」ということは、人間として最低限のマナーを分かって欲しいという思いがあったのであろう。
それでも親は心配で5分後の置き去りの場所に戻っている。
これが、どうして「行き過ぎたしつけ」になるのであろう。虐待といった教育評論家は、仕事を止めた方がいいのではないか!
その証といえるのが、1つは「この子の行動」であり、もう1つは「発見された後の親との会話」である。
1つ目の「この子の行動」には、理解しがたい行動が見受けられる。通常は置き去りにされた道路から、車が走り去った方向に泣きながら歩くものであるが、山の登山道を進んでいること、また時間的に見て、親が戻ってきているのを見ている可能性もあること、自衛隊の宿舎で、6日間もじっとして、助けてもらう何らかの行動をとっていないこと、等から、7歳の子供の行動とは思えない。親もまさに「想定外」であったこと
2つ目は、親との病院での会話で、親父さんが誤っているのに対して、「許すよ!」といった言葉、普通は泣きじゃくりながら、子供の方から「もう人に石など投げないから許して、ごめんなさい」といって謝るものではないのだろうか? この子の頑固さというか、普通ではない子の姿が浮かぶ。

親父さんが、このことに懲りて、今後、この子に遠慮することがあると、この子の将来にとって決していい結果にはならない思いが強い。
ここは勇気をもって、「叱る付ける態度」を是非とも堅持して欲しいものである。