ダイヤモンド7月23日配信の「さらば旧型銀行エリート」を読んで

  週刊ダイヤモンド7月28日号の特集に、銀行の「旧型エリート」の没落する5つの新旧交代を掲載している。
  自らも「旧型エリート」(?)に属してた者から反論してみたい。

  新旧交代の1つ目は、「純国産」から「逆輸入」、すなわち銀行の頭取は従来経営企画畑の純粋培養であったが、これからは海外経験がトップの必要条件であることをいっている。
  おっしゃる通り、圧倒的にトップは企画畑が占めていたが、そのうち営業畑、秘書室畑もいないわけではなかったし、また企画畑のトップの時も、副頭取に海外畑を側近においていたことが多かったように思う。トップのワンマンでない限り十分に対応可能と考える。
  2つ目は、「平時の殿様」から「戦国武将」への新旧交代をいう。意味するところは、保守的な考え方からの現状維持を捨て、変革を求め現場で先頭に立つ資質が必要といっている。
  このような戦闘武者は昔から存在した。現実に最高意思決定機関の常務会で、トップと激しいバトルを繰り広げていたのを目撃している。トップもある程度譲歩して決定していたように思う。逆に猪武者がトップに立った時の方が恐ろしいような気がするが?
  3つ目は、「金利商売」から「手数料商売」への新旧交代をいう。
  これは、現在の金融機関が盛んに模索していることであるが、「手数料」商売といっても、「言うは易く」の世界である。相続、資産形成、投資等の相談業務の手数料を考えられているのだが、先行きは極めて厳しい。そもそもこの議論が出てくるのが、編集者も言うように」、日銀の異次元金融緩和策による超低金利政策の長期化がその背景にあるのである。デフレ脱却のための国の政策の道具であったはずが、いつの間にか一人歩きをし出した代物である。これが恒久的に続くという前提のこの議論は無意味なような気がする。
  4つ目は、「紙・アナログ」から「デジタル」への新旧交代をいう。
  この時代、当り前であろう。業務のデジタル化はますます進行するだろうが、考え方まで「デジタル」では困りもののような気がする。「金」を媒体とする社会の様相は、デジタルのように単純化できるが図がなく、アナログ的な思考を持つ方が適していると考えるが、如何なものか?
  最後の5つ目は、「文系・画一」から「理系・多様」への新旧交代を言う。
  どうもこれには全く納得できない。どうして「文系」が協調性は高いが創造性や変革志向に欠けるのか? 確かに理系、海外の者との交わりは必要であるが、これは言い過ぎに感は免れない。

  要は、このような金融危機ともいえる状況に陥った背景が、国内の人口減少というのはともかく、異次元超低金利政策と異業種からの領空侵犯であろう。しかし、この低金利政策も恒久的に持続するわけもなく、また、異業種からの銀行業務参入といっても、それはネット業者の通販サイトの決裁手段に過ぎないように見え、それほどの脅威とは思えない。
  格金融機関のトップの人たちは、このような様々なメディア、経済ジャーナリスト等のいう妄言に惑わされることのないよう、王道に沿った考え、施策を実行に移していただくように願うばかりである。