パチンコ批判に関してー現代ビジネス「的外れなマスコミ報道」を読んで

  表題の論文は、評論家、経済学者の高橋洋一氏が書いたものである。評論家としては、比較的尊敬に値する人物と評価していたが、今回のこの論文には、異を唱えたい。
  野村修一氏(弁護士)の弁護士会からの懲戒についての報道については、まったく賛同するものである。弁護士会と裁判所の判断の違い、同氏がかかわった報告書の中味を報道しないとバランスに欠ける、とおっしゃるが「その通り」である。
  しかし考えてみると、テレビマスコミ報道とはそういうものではないか?と思う。たとえば、災害の報道でも、あるいは「町の人の意見」問報道でも、都合のいい部分しかオンエアーしていないのは周知の事実ではないか。高橋氏ともあろう人が、今更何を言っているのか、と思った。
  ただ、次の「パチンコ」については、まったく異論をはさみたい。おそらく同氏は、パチンコ屋に入ったこともないし、もちろん球を打ったこともないのであろう。エリートはそのような「下賤なもの」には染まらないのかもしれない。
  氏曰く「カジノ法案は、パチンコを規制する入口になり意義がある」とおっしゃる。パチンコ業者は脱税の温床(元大蔵官僚の言らしい)であり、街中にあるパチンコはギャンブル依存症の高い理由は、パチンコにあると宣言される。さらに海外経験者からは身近に事実上のギャンブルがある日本は珍しい、ともおっしゃる。
  競馬、競輪、競艇オートレースなどが、あるいは宝くじなどが、国が「胴元」となり、売り上げをかすめ取っている(収めた収益は有意義に使っている、という論法は言わないでください。反吐ができます)代わりに、業者収益を上げているだけである。またそれぞれの官庁の主幹を分けて利権化しているのに対して、警察が利権化しているだけである。
  さらに言うなら、パチンコの方が、他の公営ギャンブルよりも「ギャンブル依存症対策」を実践していると思う。大当たり回数の制限、1回あたりの出玉に制限、持ち越せる貯玉の制限、などである。
  パチンコ愛好家を自認する小生であるが、高橋氏のようなエリートの方は、おそらく孤独な老人、ないし老後というものを理解できていないんだろう。
  「他人とおべんちゃらを言ってまで話はしたくない」「家でじっとしていると気が滅入る」「生きているというスリルを味わいたい」等々の孤独な老人が増えているはお気づきだと思う。その中にあって、デイサービスが街中のあちこちにオープンしているのと同様に、パチンコは「憩いの場」なのだ。デイサービスで金の掛けないパチンコ台、マージャンを置くところもあるくらいで、隣の歌声喫茶では、デイサービスの車で送り迎えするところまで出現しているのである。
  そういう一環としてのパチンコを考えることはエリートはできないのであろう。実際に、パチンコ屋に行ってみてください。4円パチンコ(普通のパチンコ)、と1円パチンコとがあり、4円パチンコの方が圧倒的に台数が多いが、年老いた大半の人たちが1円パチンコで楽しんでおり、台数の少ない1円パチンコが満杯となっているのである。
  自らの少ない年金額とを見あいながら、楽しんでいるパチンコを「ギャンブル」だと言って、締め付けることだけを考えていいのだろうか、あらゆる公営ギャンブルの収益を注ぎ込んで、老人天国を作るというならば、話は別だが?