日本沈没ー日本の閉塞感・無力感(その6)

  今まで、政治の世界および経済の世界の一流製造企業、金融機関におけ 

 る閉塞感・無力感をみてきたが、今回は、我々の普段の社会生活の中にお
 ける閉塞感・無力感を見てみよう。
  1つは、携帯電話・インターネットの発展により超情報化社会といわれ
 る社会を見、次に、今マスコミで人気絶頂のアマスポーツを概観し、最後
 に、日々の暮らしの中の閉塞感・無力感を感じる事柄を指摘したいと考え

 る。


 1、超情報化社会の閉塞感・無力感

  ご案内のとおり、ネットを中心とした情報化の波は、携帯電話の驚異的

 な普及とそのハードの高機能化に伴って、想像を絶するほど大量に押し寄
 せている。従来の「物事を調べる」手間が、図書館から指先1つの検索に
 よって達成され、「あるものを探す」手間が、あちこちに電話、ファック
 スで問い合わせるのが、これも指1つで本人が希望する最適の「もの」が
 探し出せる時代になった。


  この「便利さ」捨てがたいものがあるが、従来は時間がかかっても、1
 の情報を得るとその情報を元に考え、更に次の情報を探すという情報のコ
 ミュニケーションがあったが、今はありとあらゆる情報が1度に押し寄せ、
 それを選択する時間がないか、あるいは選択を放棄してしまっている。こ
 れが本当に人間にとって良いことなのか、あるいは幸せなのか、と疑念を
 持たざるを得ないのである。


  さらに問題は、ゲームの異常な拡がりである。未だに日曜日のわが家の
 前の公園で大人たちが多数集まりポケモンを楽しんでいる。自転車を走行
 させながら、片手にスマホを覗き込んでいる若者も多い。決して緊急連絡
 であるはずがなく、きっとゲームを止められなくなっているのであろう。
 この「ながらスマホ」で事故が起こっていることを十分に知りながら、未
 だに止めないのである。世界保健機構は「ゲーム病」という病気を設定し
 た。新たな技術の発達に人間が侵されている「証」なのだろう。


 2、アマスポーツにおける閉塞感・無力感

  レスリング協会を皮切りに、日大フットボール部の傷害問題、最近はア

 マボクシング協会と、アマスポーツ界は朝のテレビ番組に格好の材料を提
 供している。余りにも長時間報道されていたので詳細は当然省略するが、
 これに対するコメントも呆れかえって語る気にもならない。


  おそらく、これらは氷山の一角でしかないと思われるが、アマスポーツ
 界においても政治の世界、経済の世界と同様に、権力を持ってしまうとそ
 の本分を忘れ、権力そのものに酔ってしまい、いつの間にかそこが身内の
 優遇や私腹を肥やす温床と化してしまったようだ。無邪気にスポーツを楽
 しんでいる国民をこれほど虚仮にしていることはないだろう。


  それでも国民はアマスポーツを観てしまうだろうから、文部科学省は、 
 汚職に始まり文書データの改ざんばかりに腐心するのではなく、また、ス
 ポーツ庁も鈴木長官のように「甘い感想」ばかりを言っていないで、ここ
 にこそ積極的に介入して、中味の腐敗を一掃することが必要で、国会議員
 としての責務を果たして欲しい、が無理だろうな!!!


 3、日常生活の中でみる閉塞感・無力感

  政治の世界や経済の世界、あるいはスポーツの世界における閉塞感・無

 力感よりももっと切実な閉塞感・無力感が身の周りにある。思いつくまま
 に羅列してみよう・

  まず、年金の問題がある。 

 (1)年金の現状と課題

   ご案内の通り、日本の年金財政はこのままでは将来必ず破綻します。

  現在は現役世代3人で1人の年金を支えているが、2050年には現役世代
   1人で、1人の年金を支えると予想され、爆発的に人口が増加しない限
  り、破綻は目に見えています。
   おそらく何もできない政治家は、大幅な年金受給額の減額か、年金保
  険料のかなりな増額という弥縫策に終始するのでしょう。賦課方式を積
  立方式に変更するなど、抜本的な解決が無い限り、立ちいかなくなるこ
  とは自明ですが、今の政治ないし政治家は何もしないし、かえって国民
  が納めた年金を無駄遣いし、その年金管理に関しても杜撰を極め、誰も
  責任を取ろうとしない。これを閉塞感・無力感と言わないで何というの
  でしょうか!!!
 (2)税金の問題

   国民11人に対する税金及び保険料は確実に上がってきています。こ

  れがインフレで、同時に給料が上がっていれば負担感は少ないのだが、
  安倍首相がデフレ脱却と言っているように、中々旨く行きません。特に
  高齢者の場合は、先行きの年金受給額の先細りや医療費の自己負担額の
  増大などを考えると、極めて深刻な問題とっている。


   そこで政治が考えているのが、消費税の10%への増額、所得税の改
  正、相続・贈与税の改定等、あの手この手を考え、その税金の取立には
  余念がない。

   実際に経験したことですが、各種税金の納付については期限が1日でも

  過ぎると、次・次と支払いの督促状が来るのに対して、税金の還付金は
  優に3か月以上はかかります。聞いた話では国民健康保険1か月1200
  を期日経過後すぐに市の職員に訪問されたと聞いた時、訪問する交通費
  及び人件費が1200円の徴収に見合うのか、市は考えたことがあるのか問
  うてみたい。


   最近、テレビを見て言うると、京都の各寺院が、観光客誘致のため、
  高給民泊をはじめたり(通常は遊説となるはずが、座禅や写経を教える
  ということで御布施扱い)、ご本尊の前でライブを開催したり、髪の毛
  を延ばし髭を蓄えた住職が、プロジェクションマッピングを駆使してお
  経を読んでいる姿が放映された。
   全国で寺の数は8万、神社の数は9万と言われている。これがすべて
  「無税」なのだ。何でお寺、神社とも一族で世襲するのか?こんな無税
  の甘い汁は、絶対見逃せないからに他ならない。

   何ともやりきれない無力感が漂うのはわたしだけだろうか?


 (3)老後の不安と孤独感

   高齢化社会の到来と叫ばれ、平均寿命が男で81歳。女で87歳と、世界

  でも有数の国になった。さて、これが誇れることなのか疑問を覚える今
  日この頃である。


   勿論大きな問題は、医療費の負担増しである。薬も使用する頻度が
  多くなるに加えての自己負担割合が3割になるなど、年金は増えないどこ
  ろか減る危険性を含んでいるだけに不安の増大は計り知れない。


   一方、核家族化がますます進展し、配偶者が亡くなっても一緒に住
  もうという子供たちはいなくなり、1人住まいが圧倒的に多くなってきた
  ことである。1980年と2015年を比較すると20万人から190万人に、女が
   70万人から400万人に、65歳以上の1人暮らしは増えているそうだ。

   これの1番の問題は、金銭的なこともあるが、精神的に「絶対的」孤独

  感を持つ人が多いということである。
   なぜ絶対的かというと、文字通り1人である場合だけではなく、子供も
  孫もいるが、殆ど行き来はないという老人が多くなっていることであ
  る。1日中、全くしゃべらない人もいるとか。
   この寂しさは「何のためにこの世に生を受けたのか」「何のために一
  生懸命働いてきたのか」との思いに捕らわれ、無力感というよりも絶望
  感が去来するとなると、日本の幸福度はかなり低いものにならざるを得
  ないだろう。

   一方、これを解消するのが地域コミュニティーの活発化が挙げられる

  が、これも世話好き、話好きの1部の人たちの集まり、サロンと化してお
  り、ここに、社会福祉としての補助金が付くとなると、また「汚い」面
  が入り込んでくる、という始末である。


 このように見てくると、日々の社会生活の中でも、色々な面から閉塞感・無力感が漂い出ている。



 最後は、無責任なようで申し訳ないが、本人の「気持ちの持ち様」次第化も知れない。物事を前向きに捉えるか、小生のように後ろ向きに捉えるかであろうが、余りにも後ろ向きに捉えざるを得ないことが多すぎないだろうか、と感じる次第である。