日本沈没ー日本の閉塞感・無力感(その5の最後)
いる。そこで、全体の流れを、自らの整理の意味を含めて通覧してみる。
現在の金融政策が、「異次元」と言われるほど、大量の国債購入とゼロ
そもそも、この日銀の政策は、アベノミックスという安倍首相の経済政策 に呼応して、消費者物価指数2%の達成を目指すために用いられた施策であ るが、ここに金融庁が追い打ちをかけた。
すなわち、リーマンショックにより各銀行の不良債権を抑制しようとて、金融庁は締め付けを強化し、結果として各銀行の預貸率は極端に悪化した。そこで金融機関は融資に廻せないお金で国債を買い運用したが、日銀が大量の国債買付を実施し、国際相場が動かなくなった。そこで仕方なく、各銀行は確実に高利回りで稼げ、銀行が総量規制から外れている個人の融資に傾注した。
金融庁も「優等生」と称賛していたスルガ銀行も、実は個人融資で稼ぎまくっていただけなのである。そして今度の不正事件をきっかけに、金融庁は舌も乾かないうちに又これも締め付けに入ったのである。
これでは、各銀行とも出口を塞がれたと同じで、業界全体として「構造不況業種」化してしまっても致し方ないのである。
それを受けて最近の経済雑誌は、「銀行が消える日がやってくる」「銀行破たん時代メガバンクが地方から消える日」「金を貸さなくなった銀行が人員削減競争突入」というセンセーショナルな見出しで、金融専門家と言われる人物に書かせているのである。
この時にこそ、店を減らすことだけを考え、従来のお客様をないがしろにしたり、優秀な人材を、削減することだけを考えず、活かす工夫を頭で考えることが重要なのである。従来の銀行が得意としていた分野を深化させ、足腰の強さを誇ることができる銀行こそ生き残るのである。
「小粒化」した銀行経営陣が、その汚名を払拭するためにも、「いざのとき、上に立つ者の器量が問われる」ことを肝に銘じるべき時と考える。
2、間接金融から直接金融への資金需要の減少
この流れは長期的に継続し、上記のように多少利ザヤや改善されても従来のような資金需要は復活するのは難しいかも知れない。債券発行の場合もあるが、高利回りの運用が義務付けられている年金資産を資金源として、ファンドはますます活発になる可能性はある。
しかしながら、それも限界がある。すなわち、ファンドが力を持てば持つほど、大塚家具で見られるように、その業界に対する素人集団と考えるファンドが経営に口を挟み、方向違いの経営を強いられる可能性があり、それを嫌う企業経営者も結構存在する筈である。
このように見てくると、従来の間接金融onlyというわけにはいかないが、構造変化を強いられるほど資金需要はなくならないと考えるのが妥当である。
人工知能(AI)やフィンティックといわれる金融技術の進展は著しい。銀行機能の1つの資金決済などが、銀行を介さずに携帯電話端末の間で決済されたり、送金される可能性がある。さらに1部で持て囃されているビットコインなどの仮想通貨の出現が、銀行の存在感を薄くしているのは事実である。
「昔の銀行の風景」で見るような、事務の効率化は徹底して進められていき、確かに、ただ単なる事務職は大幅に省力化されるために余剰が出るだろう。そのために1昔前には各銀行とも大幅なシステム投資(700億円、800億円という規模で、一体どの部分にいくら費用が掛かっているのか、経営陣も説明ができなかった記憶がある)を実施し、それなりの効果が図られている
しかしながら、AIにすべてを任せきることは現実的に不可能と考える。少し前に、あるいは今もそうかも知れないが、個人ローンの自動審査が行われている。貸し手としての要件について、個人においてはそれほどの要件はなくAIにある程度任せても対応は可能としても、企業に対する審査ではそれは不可能である。要件をすべて入れればよいではないか?というかもしれないが、貸し手毎にその要件の強弱が違いかつそれが日々刻々と変化しているのである。最後には人間の脳に勝るものはないと考えるべきである。(実際に人間の脳の仕組みは未だに未知の部分が結構あるそうだ)
仮想通貨にしても、金融庁が認めたのは理解できないが、もうすでに事故が起こっており、世界のハッカー集団の優秀性から、安心して身を任すことはとてもできるはずが無い。
以上、構造的不況業種化してきたと言われる金融業界も、その要因を1つ1つ見てみると、逆ザヤは永久に続かない、間接金融が無くなるはずない、AIや仮想通貨をそれほど恐れる必要はない、のである。