日本沈没ー日本の閉塞感・無力感(その5の最後)

  本論稿が長くなり、筆者自身も「どの部分」を話しているのか混乱して

 いる。そこで、全体の流れを、自らの整理の意味を含めて通覧してみる。

 
  現在の日本における閉塞感・無力感を「日本沈没」と捉えて、まず、
 「政治」の世界を俯瞰した。そこには、安倍1強の功罪が数々あり、それ
 を許した野党政治家の資質、能力を問い、政党なるものが必要なのか、政
 党に政党補助金たる税金を注ぎ込む必要があるのか、を見直してみた。
  そこから漂う閉塞感・無力感を経済界に目を向けてみた。「モノ」の動
 きが携帯やネットで大きく変わり、経済構造を大きく変容させた。そのせ
 いで、昔の超一流企業、特に製造業での立て続けの不祥事を概観し、その
 要因を指摘するとともに、本稿のまとめに見る金融業界でも情けない体た
 らく様相を見せているのを紹介した。そして結局、その要因を突き詰めて
 みれば、製造メーカーも金融各社もその経営陣の「小粒化」に起因し、そ
 の「小粒化」は、戦後の団塊の世代が経営陣を構成することから始まっ
 た、と分析することになる。
  今後は、「社会生活における閉塞感・無力感」に入っていくことにな
 る。

  さて、本論に戻ろう。金融機関の閉塞感・無力感をお話ししよう。
  銀行の「構造不況業種化」といわれる状況を呈している要因として考え
 られるのは、① 異次元の超低金利政策による利ザヤの極端な縮小、②間
 接金融から直接金融への資金需要の減少、③金融技術の進展、が挙げられ
 る。


1、異次元の超低金利政策による利ザヤの極端な(大幅ではない)縮小

 現在の金融政策が、「異次元」と言われるほど、大量の国債購入とゼロ

パーセント金利を維持する中で、基本的には金融機関は、従来の預金を集めそれを貸出に向け利ザヤを稼ぐ、という手法では儲からないのは自明の理である。したがって、金融機関は、急激な収益悪化に対し、新たな「儲かる戦略」を構築する必要に迫られた。

 そもそも、この日銀の政策は、アベノミックスという安倍首相の経済政策      に呼応して、消費者物価指数2%の達成を目指すために用いられた施策であ  るが、ここに金融庁が追い打ちをかけた。

 すなわち、リーマンショックにより各銀行の不良債権を抑制しようとて、金融庁は締め付けを強化し、結果として各銀行の預貸率は極端に悪化した。そこで金融機関は融資に廻せないお金で国債を買い運用したが、日銀が大量の国債買付を実施し、国際相場が動かなくなった。そこで仕方なく、各銀行は確実に高利回りで稼げ、銀行が総量規制から外れている個人の融資に傾注した。

 金融庁も「優等生」と称賛していたスルガ銀行も、実は個人融資で稼ぎまくっていただけなのである。そして今度の不正事件をきっかけに、金融庁は舌も乾かないうちに又これも締め付けに入ったのである。

 これでは、各銀行とも出口を塞がれたと同じで、業界全体として「構造不況業種」化してしまっても致し方ないのである。

 それを受けて最近の経済雑誌は、「銀行が消える日がやってくる」「銀行破たん時代メガバンクが地方から消える日」「金を貸さなくなった銀行が人員削減競争突入」というセンセーショナルな見出しで、金融専門家と言われる人物に書かせているのである。


 実際に、メガバンクをはじめ各銀行とも、新たな手数料収入が見込める業種にシフト(投資相談、相続相談等)するが、中々思うようにいかず、「小粒化」した今の銀行経営陣は、常識的な銀行員の常として、経費の節減、具体的には店舗の統廃合及び縮小と大幅な人員削減に走ったのである。


ちょっと待て!!!


 この異次元超低金利(マイナス金利)がいつまでも続くはずがないことを忘れていないか!。実際に、日銀は金融緩和策の修正を言い出しているし、理解しがたい強権の金融庁の長官も更迭となった。風が変わりだしたのである。

 この時にこそ、店を減らすことだけを考え、従来のお客様をないがしろにしたり、優秀な人材を、削減することだけを考えず、活かす工夫を頭で考えることが重要なのである。従来の銀行が得意としていた分野を深化させ、足腰の強さを誇ることができる銀行こそ生き残るのである。

 「小粒化」した銀行経営陣が、その汚名を払拭するためにも、「いざのとき、上に立つ者の器量が問われる」ことを肝に銘じるべき時と考える。



2、間接金融から直接金融への資金需要の減少

 この流れは長期的に継続し、上記のように多少利ザヤや改善されても従来のような資金需要は復活するのは難しいかも知れない。債券発行の場合もあるが、高利回りの運用が義務付けられている年金資産を資金源として、ファンドはますます活発になる可能性はある。

 しかしながら、それも限界がある。すなわち、ファンドが力を持てば持つほど、大塚家具で見られるように、その業界に対する素人集団と考えるファンドが経営に口を挟み、方向違いの経営を強いられる可能性があり、それを嫌う企業経営者も結構存在する筈である。

 (今、何でも「第三者委員会」が大流行で、弁護士さんがもてはやされているが、正解だとは思わない。なぜなら弁護士さんほど経営に疎い人種はいないからである。その調査はヒアリングを中心とするが、そのヒアリングの内容をどう解釈するかは、その中の経営が分かっていないと判断できないからである)
 ファンドは、口を挟んでうまくいかなかったときは、投資した資金を売り逃げして回収すればいいのに対して、企業経営者はそうはいかない。そこに限界が見えるのである。

 このように見てくると、従来の間接金融onlyというわけにはいかないが、構造変化を強いられるほど資金需要はなくならないと考えるのが妥当である。


3、金融技術の進展

 人工知能(AI)やフィンティックといわれる金融技術の進展は著しい。銀行機能の1つの資金決済などが、銀行を介さずに携帯電話端末の間で決済されたり、送金される可能性がある。さらに1部で持て囃されているビットコインなどの仮想通貨の出現が、銀行の存在感を薄くしているのは事実である。

 「昔の銀行の風景」で見るような、事務の効率化は徹底して進められていき、確かに、ただ単なる事務職は大幅に省力化されるために余剰が出るだろう。そのために1昔前には各銀行とも大幅なシステム投資(700億円、800億円という規模で、一体どの部分にいくら費用が掛かっているのか、経営陣も説明ができなかった記憶がある)を実施し、それなりの効果が図られている

 しかしながら、AIにすべてを任せきることは現実的に不可能と考える。少し前に、あるいは今もそうかも知れないが、個人ローンの自動審査が行われている。貸し手としての要件について、個人においてはそれほどの要件はなくAIにある程度任せても対応は可能としても、企業に対する審査ではそれは不可能である。要件をすべて入れればよいではないか?というかもしれないが、貸し手毎にその要件の強弱が違いかつそれが日々刻々と変化しているのである。最後には人間の脳に勝るものはないと考えるべきである。(実際に人間の脳の仕組みは未だに未知の部分が結構あるそうだ)

 仮想通貨にしても、金融庁が認めたのは理解できないが、もうすでに事故が起こっており、世界のハッカー集団の優秀性から、安心して身を任すことはとてもできるはずが無い。



 以上、構造的不況業種化してきたと言われる金融業界も、その要因を1つ1つ見てみると、逆ザヤは永久に続かない、間接金融が無くなるはずない、AIや仮想通貨をそれほど恐れる必要はない、のである。


 いずれにしても、1990年代からの合従連衡競争のように、この渦に巻き込まれないで、毅然とした態度で、原点に返った銀行経営をしてもらいたい、と願うものである。もっとも、今の経営陣が、強権を持った金融庁が「箸の上げ下ろしまで口を挟む」ことに慣れ、「箸の使い方」自体を考えない「小粒化」していれば、何をか況やである。


 
 次回からは、本論稿の最後を飾る、身近な社会生活における閉塞感。無力感を語ることにする。