マスメディアに対する一言ー特に朝日新聞について


1、特に朝日新聞に対する一言
 朝日新聞の購読者の大幅な落ち込みが現実に起こっているにもかかわらず、その
省が全く見られず、相変わらずの報道姿勢には、かえって「感心させられ
る」以下、個別に見てみる。
 
  (1)オウムの麻原彰晃死刑に関する記事に対する一言
  本質論は全く置き去りにしたまま、一方では海外の報道として、独逸では「日
 本は死刑を堅持する数少ない先進国」としたのを紹介し、死刑堅持が如何にも後
 進国にのみある制度にように見せようとし、その弊害理由として「アサハラの
 死は支持者には殉教者と映り新たな指導者を生みかねない」と紹介している。
  また、EU諸国、ロシア、米国等の動向を伝え、日本が如何に「死刑」に関し
 ては、遅れている国であることを強調しようとしている。
  さらに、追い打ちをかけるように、麻原死刑の本件報道のやり方にまで口を
 はさむ。曰く、執行の状況を各局が速報で流すやり方に文句をつけ学者の
 葉として
 「死刑のショー化、見世物化に他ならない」とまで言わしめている
    -私自身もこの報道は賛同する。ただし、その理由は、朝日の言うその
     残酷さを問題にしているわけではなく、テレビメディアのキャスター
     たちのお粗末さが目を覆うばかりで、まったく本質論を採りあげて
     いないことを問題としている)
  しかし、朝日新聞最も欠けているのは、いみじくも朝日の記事の中で報道
 している通り、日本国民の80.3%が死刑を容認している事実に対する考察
 であり、それに対する朝日新聞の意見である。
  古代より、全世界の人たちが「目には目を、歯には歯を」方式を採用して
 いた。近代刑法になっても因果応報の概念は捨てきれずにいるのが現状
 ある。
  何故か?
  それは、因果応報が人間の自然な感情の発露であるからである。EUもロシア
 も死刑廃止「善人」ぶった政治ショーの道具になっているのを見過ごして
 ならない。
 
  朝日は、一挙に7人も死刑に処するのはいかに残酷なことかを報じているが、
 それでは1人づつ順番に執行すれば問題ないのか、と問いたくなる。如何に本質
 の論議がなく、一方方向に読者を持っていく朝日新聞の手法は、相変わらずで
 ある
 
  (2)朝日新聞復活に関する一言
  じゃ、どうすれば朝日新聞は復活できるのだろうか?
  それは、たとえば、東電問題ならば、何故「誤報」が生まれたのかを真摯に
 反省し、その過程を読者に分かりやすく紙上で説明すべきであった。
  また、慰安婦問題に関しては、吉田氏を前面に出して、誤報の経緯を公開すべ
 きであって、かつこれほどの国際問題に火を注いだ経緯を鑑みて、韓国内の誤解
 を解くようなキャンペーンを継続して続けていく姿勢が必要だったと考える。
  たとえ費用が大きくかかっても、かつ関係者の朝日関係者が処分されようと
 も、深く反省している姿勢を見せる必要があったのである。
 
  (3)朝日元記者廣渕氏に対する一言
    最後に追い打ちをかけるようだがテレビ朝日の報道制作部長で現在国際
   ジャーナリストと称する廣淵升彦氏「キャスターたちの薄っぺらな私見
   無意味」題して評論したのを新潮社が掲載している。これは、同氏の著書
   「メディアの奢り」の中で語っていることのようだが、この中にも、朝日新聞
   復活はまだまだ遠いと感じる部分が多々あった。

    まず、同氏曰く
    「テレビのキャスターあるいはその横に座る〇〇新聞編集委員氏は、オピニ
   オン(意見)を言うな、ファクト(事実)だけを伝えろ、と。なぜ、”オピニ
   オン”を言というと、その人たちに何らかの使命感や正義感があるかもしれ
   ないが、使命感が昂じて独善に陥るからだという。
 
     ちょっと待って! 
 
      同氏のキャリアはテレビ朝日の報道制作部長じゃないの! 
 世界的に誤解が蔓延している慰安婦問題の切っ掛けは「朝日新聞」じゃなの? 
 同氏は、ファクトのみを伝えるべきだというが、その「事実」が間違っていた
 のが「朝日」じゃないのですか?
 
  掲載した新潮社記者は、同氏に媚びて、朝日のテレビ局が「偏向」と厳しく
 批判されるのは、同氏が朝日の現場を去ってからというが、事実(ファクト)が
 間違っていたのだから、同氏が「メディアの奢り」なるものを書くのは、10年
 早いように思うが、如何。
  同氏のキャリアからいえることは、この「慰安婦問題」の誤解をどう解いて
 いくのかを考えるのがまず先決で、後輩のテレビキャスター等に「訓(?)」
 を垂れる資格はないのではないか!!

    結局ここでの問題なのは、これは同氏も指摘しているとおり、「薄っぺらな
   私見」を述べることであって、だから「しゃべるな!」というのではなく、「深
   く考えた私見を述べろ」というべきであろう。
 
    確かに、最近のキャスター等は、採りあげる話題に対して「勉強」していな
   い。もう少し「勉強」してもらうことが必要であるし、勉強した結果の「私見
   について、局側が、その私見に方向性を示唆するような介入しないことが重要と
   考える。
    マスコミ界でそれなりの地位(報道部長ってエライと思う)に就いたジャーナ
   リストが、その本質がわかっていないことは極めて残念なことである。
 
    もう1つ小生が言っておきたいことは、同氏は、業界人が「社会の木鐸
   意識、すなわち社会の人々を目覚めさせ、教え・導く意識は持っていると自慢
   げだが、これ自体が極めて鼻もちならなし、そのような意識をベースにしている
   ためか、新聞社、テレビ局にいる人種の「奢り」は目に余るものがある。
      
         新聞業界人が持つべき資質とは、国民の知る権利に奉仕することであり、
   如何に偏見を持たずに、正しく、早く事実を報道することにあるのではないか!
     廣渕氏たちOBも含め、業界人の大いなる自省を求めるものである。 
 
      同氏がやるべきことは、後輩たちの「礼儀」であり、「謙虚さ」を教え、諭す
       べき役割から始めるべきである、と考える。
 
2、メディアに接する国民に対して一言
以上のように、情けない状況を呈しているメディアであるが、このような現状の  にあって国民の方にも罪があることを忘れてはならない。
 
それは、情報は受け取るだけのものではなく、それを基に思考し、自分の考え方に高めていくことが重要で、常にその意識を持ち続ける努力が必要なのである。
 大量の情報が一挙に押し寄せる現在にあって、それらの取捨選択することなく、  一方的な「受け手」に成り下がっては、ますますメディアを増長させることなるのを忘れてならないことである。
 
小生も含め,1ひとりひとりが自戒すべきことなのであろう。