マスメディアに対する一言3-新聞等に対する一言


1、新聞等に関する一言
(1)読まなくなった新聞の在り方
  新聞の発行部数が一方的に減り続けている。 
  新聞協会の発表によると、2008年ごろから毎年100万部ずつ減らしてきて、
 2018年には、前年比一気に200万部を減らし、4000万部弱まで落ち込んだ
 そうだ。
  インターネットの発達やスマホの普及による要因は最も大きいのだろう。
     しかし、本格的な高齢化社会を迎え、1人老人世帯も急増している中に
    あって、年金の先行き不安などが相俟って、節約志向を極めて高くなって
    おり、「切っても日々の生活に関係のない物である、月4400円もする新聞」
    をわざわざ買わないのである。新聞のテレビ欄はテレビのデータ欄で見れる
    し、三面記事は、朝のテレビのワイドショーで十分なのだ。
 
  一方、今の新聞で、購買意欲がわく記事を載せているかが、今後の新聞
 購読が増えるかどうかの鍵となるが、それは、政治面で、権力の監視役と
 しての鋭い突込み記事であり、もう1つは経済面で、景気判断材料がどれ
 だけ多面的に取り上げた記事などである。
  現在の新聞記事は、ネタ元が1つなのか、ほとんど同じ記事で、書き方が、
 各新聞の思想・信条による最後の1行が加わるだけである。
  もっと悪いのは、同様記事を、どうも各新聞社が、思想・信条を持ち、
 それに沿った記事の取り上げ方(強調する記事の書き方、都合の良いところ
 だけを切り取るやり方)をしているようで、各新聞社の方向が、新聞社名を
 隠しても、その記事を見ただけで見え見えになるのは、どういうことだろう。
  今更言うまでもなく、新聞の使命は、社会の公器として国民の「知る権利」
 に奉仕するため、公正・中立な立場で正しい報道を行うことである、という
 ことを新聞人は肝に銘じていただきたい。 
(2)論説委員等に対する一言
  ある人物が指摘してくれた。
  厚労省の勤労統計不正問題で、日本中が大騒ぎの最中でのある日の首相動静
 の中に次のような記事があった、という。
   ・午後34分から同33分まで、新聞通信各社の論説委員との懇談
   ・午後334分から同55分まで、在京民放各社の解説委員らとの懇談
   ・午後356分から同417分まで、内閣記者会加盟報道各社のキャップ
    との懇談
    
  新聞ばかりではないが、マスコミが勢ぞろいして、いったい何の話を聞い
 たのだろう、と疑念を持ったという。
  まさか「お手柔らかに」ではないのだろうが、毎月4000円以上払って「お
 手柔らかに」仕上げた記事を読まされる国民はたまったものではない
    
  小生自身も、実はよく感じることで、テレビによく出る新聞記者出身のコメ
 ンテーターの殆どは、「体制にべったり」が殆どである。「権力に擦り寄る」
 という新聞各社が最もやってはいけないことが、実はもう新聞記者の身
 べったりとついているのだろう。
    
(3)元大蔵官僚出身の評論家高橋氏に対する一言
    このような意味で、政治をはじめ、各方面での記者たちの資質の低下を
   憂えている評論家高橋氏の意見に大いに賛辞を贈りたい。
    同氏は、大蔵省でも理系の数学科を出ており、物事を比較的公平に見、かつ
   日銀に対する批判も恐れることなくぶち上げる勇気ある論客で、評論家の中で
      尊敬する1人である。
 
      同氏の鋭い観方の1例として、サッカーについてのポーランドボールの
     回しでの時間稼ぎにおける賛否両論は、結局各人の「ゲームの味方
        (見方の誤字では?)」「価値観の違い」の問題、と指摘したのは鋭い本質を
         見抜いおり感心したものである

    ただ、同氏の論点で、2,3 「あれっ」「?」となる部分がある。若干論
   点から外れるが、同氏を尊敬する一人として、あえてここで指摘しておく。

    まず第1に、森友問題で、「財務官僚が総理に忖度するのは考えられない
     佐川氏が近畿財務局の決裁文書を見ずに答弁して、自分の保身のために決裁
   文書を改ざんしただけで、総理への忖度はどこにも見えない」と言い切る
 
 ちょっと待ってください。
   高橋氏も同じ大蔵官僚なので自信をもって言い切っているが、まず、今の財
  務官僚と同氏が在職当時の大蔵官僚とは本質的に異質な者(小心翼々と
  た、プライドを持たない多数の官僚)になっていることに気づいていない。
  だから「考えられない」と言い切っているのはかなり問題。
   次に、理財局長ともあろう者が、国会答弁において資料を見ないで答弁する
  ことはありうるのか、特に保身に汲々としている人物であれば、余計に慎重に
  調べるのが至極当然のように思えるのだが、如何か。後で保身のための
  改ざんという高橋氏の言到底信じられない。
 
   同氏に対して不遜ではあるが、そもそも「忖度」したかどうかについて、
  忖度した相手とのに「証拠」となるものが残るはずがない。
   忖度とは、相手の思っていることを慮って、頼まれもしないのに行動を起こ
    すことなのだから、当然である。
   ここでも高橋氏は、「交渉記録に影響を与える記述はない」としてぶった
    切っている。交渉記録に「忖度しました」などという言葉が記載されるはず
    がないないか。
   そのことを全く認識しないで、「モリカケのように総理の関与の決定的な
    証拠が出てこないのに、関与があったようにいうデタラメな報道断じて
   いるのは的外れもいいところではないか、と考える。
 
   高橋氏には、新聞に関しての評論に新聞を読まない若者の自民党支持者が
  多い論拠を、者の関心は就職なので、雇用という実利をもたらす自民
  党が多くなるという。
   高橋氏の時代のように官庁、企業に就職することがすべてである、という時
  代ではなくなっている。少なくとも旧来よりは、現代の若者はその感覚を持っ
  ている人たちが圧倒的に多い。なのにこの論拠は我田引水要素が芬々
  する。
   そもそも「政治」そのものに関心が薄い世代にとって、自民党も色々問題が
  ある政党であるが、ほかに託せる党がないのでは仕方がない、と思っている
  に過ぎないのであって、選挙において、積極的「棄権票」を一定の評価する
  制度でもできれば、その若者の政治志向がもっと明らかになると考えるが、
  如何なものか

次回は、新聞の中でも、特に朝日新聞(含む朝日テレビ)についての
一言を述べる予定である。