「何故、秋篠宮紀子さまは-----」6月11日付けプレジデントオンライン


  雅子皇太子妃が皇后の地位に就いたとたんに、マスコミ・メディアが手のひらを反すように、秋篠宮家の批判を一斉に始めたのに、相当の違和感を感じていた小生の味方が現れた。それがこの記事を書いた元木氏である。

  氏曰く中身として、最近の秋篠宮家、特に紀子さまの批判記事をまず紹介する。
  ・ 紀子さまが娘と公式行事に参加した時、「眞子さんとは一言も口をきかなかった」「佳子さんは紀子さんに『うるさい』といった」と報じ、宮内庁関係者や秋篠宮家の事情通なる人物が、実はこれこれだと意味深な解説をする。
  ・ 秋篠宮家の職員たちが、紀子さんの厳しいやり方に不満を持つという報道も紹介し、「東宮に比べて、うちは職員が少ないしお金も少ない」と紀子さまがこぼしているという話も報道する。
  ・ そして遂に、紀子さまの実家について報道を始め、弟の特定団体の「広告塔」報道及び父親の交友関係にまで批判は及び、宮内庁が痛く心配している、というコメントを付け加える。

  次に、天皇一家、特に雅子皇后についての報道を紹介している。
  ・ 皇后即位直後、特にトランプ大統領夫妻を迎えた宮中晩餐会で、別人のように溌溂とした姿で公務をこなし、元外交官(?)としての語学力で見事大役をこなしたことを受け、「ピンヒールの雅子さまが日本の国母へ」「皇后・雅子さまが新時代の皇室を世界に知らしめた」等、絶賛の嵐となった。

  最後の、マスコミの「手のひら返し」も併せて紹介している。
  ・ 男の子を生むことを強いられた雅子さんは、ストレスから心身のバランスを崩し、適応障害に陥り、公務もままならない日々が長期に続いたいた時には、気晴らしに両親と会って食事をすると、公務をさぼりおかしい、実家にべったりは皇室ではない、愛子さまの送り迎えや合宿についていけば、「私」を優先して「公」を軽んじている、と言われたていた。
  ・ 一方紀子さまは、その間、美智子元皇后の立ち居振る舞いを見習い、公務をこなし、夫に尽くして娘2人を育てた、「3LDKのプリンセス」として、気品の高い挙措や優しい言葉遣いに国民は魅了されていた。

  そして最後に、このマスコミの「手のひら返し」の原因を同氏は、学習院の不満、宮内庁職員の不満をバックにして、マスコミがこの風潮を捉え、その風に乗った、とする。メディア、特に週刊誌は、物事の善と悪を単純化して報道するのが常道なので致し方ないとする。
  そこで、このパッシングを避けるため、紀子さまに人間としての弱み、具体的には娘たちのこと、長男の教育のこと、秋篠宮さまのこと等に関して悩んでいる姿を国民に知ってもらうこと、だという。

  ちょっと待っていただきたい。同氏のキャリアは、講談社で「フライデー」「週刊現代」「WeB現代」の編集長を歴任し、上智大学明治学院大学でマスコミ論を講義している人物である。どのようなマスコミ論を学生に講義しているのか講義聞いてみたいまさか「マスコミ、特に週刊誌は善と悪を単純化し、その時の風潮に乗っかり、読者が面白く読めればいい」と教えているのではないだろうね!!マスコミの使命、政権に対する批判精神等は、どこに行ったのかと同氏に問いたい。

  なぜそこまで言うかというと、同氏の結論がいけない。折角事実の裏付けのもとにマスコミ等の手のひら返しを証明したうえでの原因を、「マスコミはそういうものだから仕方がない」と結論付けていることである。
  ましてや、紀子さまに弱みの姿を見せろ、という。同氏の姿勢でいうとこのこと自体がマスコミ、週刊誌等の格好の餌食になるのは目に見えているではないか!!
  やっぱり、ジャーナリストという人種は信用できないという結果に落ち着いた。

  この「手のひら返し」に関しては小生は過去のブログでたびたび取り上げているが、基本的には同じ人間ではあるが、「姓」がないように、特別な存在で、「私」よりも「公」が優先する宿命なのである。そのことを十分に熟知したうえでの行動を求められるのである。国民と同じ人間で「恋愛は自由」だの、「プライベートは犯してはならない」だのを言っている間は、このことを熟知していないのである。雅子皇后も15年から17年の期間を無駄にしないように「わがまま」を控え、公務に専念することができるか、まさしくこれからが評価されることを十分に熟知して日々過ごしてもらいたいものである。