吉本興業騒動に見る「弁護士」の役立たずさ

吉本興業騒動に見る「弁護士」の役立たずさ
 
1、ご案内の通り、朝のワイドショーの話題を独占している騒動で、中々、第三者の野次馬としては興味が尽きないが、メディアが全く問題にもしていないことに気が付いた。
それは、吉本興業の顧問弁護士及び社内法務を統括している弁護士(この人物が社長記者会見の司会をしていた)達は、一体、どんなアドバイスをし、どのようなストーリーを提言し、それに関する反響リスクをどのように捉えていたのか、さっぱり見えないことである。これでは、給料泥棒、顧問料泥棒と言われても仕方がないほど、お粗末で無様な結果を招いてしまっている。
 
2、今回の社長記者会見でも、これら弁護士は、おそらく大量の想定問答集を作成しただろうが、それで「我が仕事は終わり」と考えていたのではないだろうか!
想定問答集を作るだけなら事務員でもできる。弁護士として肝心なことは、それらの大量の想定問答集の中から、どれが重要なのかを示唆し、かつこの質問には慎重に、さらに言葉遣いに注意しろ、とかのアドバイスをすることにある。
さらにいえば、2人の弁護士がこの会見を仕切っているという認識があれば、5時間半にも上る「くだくだ会見」を続けさせてはいけない。そこで、どのようにこの会見を打ち切るのか、記者たちの質問及び社長の回答状況を見極めながら、臨機応変に対処する必要があった。これらの弁護士は全く機能していなかったのである。
 
3、従来より小生は、当ブログにおいて「第三者委員会」のまやかしや、その中の「弁護士の存在価値」について論じてきたが、今回の騒動も正しく、現代の弁護士の無能さを露呈したものと断じざるを得ない。
“「第三者委員会」のまやかし”とは、企業でもあるいはスポーツ団体でも、何か不正が行われたら、自らの努力による解明をしないで、「外部識者」という名目のもとにすぐに「第三者委員会」を設置する。作るだけで「免罪符」を与えられると勘違いしているように見える。必要なことは、どのような人材構成で、そこのメンバーと当該企業、団体とどのような関係にあるかを説明し、「第三者性」が保たれていることを証明することにある。
さらに悪いことには、その中に弁護士を交えることを当然と考えている。当該企業、団体の顧問弁護士を選任するのは論外だが(案外これが多い)、弁護士の数さえそろえれば、ということで、やたら若い弁護士とかテレビに出演している有名(?)弁護士を選任する。
まずテレビに出演している弁護士は、一種の有名病にかかり、相談人の相手よりはテレビで居残ることをまず考え、およそ弁護士らしくない発言を繰り返し、有名タレントとバラエティー番組でじゃれ合っている始末である。(娘がタレントになったというのも多い)
特にこの手の弁護士で一番いけないのは、法律知識をひけらかしすべてこれで解決する、とでも言いたげな態度をとることである。弁護士の基本は、法律知識をベースにしながらも、個別具体的に事実を積み上げ、100の事件があったら100通りの法律解釈があることをアドバイスすることである。
一方、若い弁護士に至っては、社会的経験が皆無の中で、学んだ法律知識のみですべての物事を解決しようとする傾向が強い。よって、想定通りの進行であれば問題なくこなすが、少しでも想定外のことが生じれば、全く思考が停止するのである。
どうも、吉本興業の場合も、この類いであろうと想像できる。
 
4、小生もすべての弁護士を無能と言っているわけではない。問題としているのは、「できる弁護士」と「できない弁護士」の落差が余りにも大きいことにある。
  テレビ等に出演し、少し有名になったからと言って浮かれないで、地に足をつけた活動を心がけて欲しいし、新司法試験に合格し「弁護士」の肩書だけを持っている若手は、常に謙虚に物事を見、考える癖をつけて欲しいものである。