日本人は?

また、乳幼児が母親に殺されました。育児ノイローゼか! 「いじめ」の問題も中々解決しませんが、この殺伐とした日本は一体どこに向かうのでしょうか?

5年前の機関紙に、以下の1文を載せておりました。

日々雑感

  1、現在の日本人は何を喪ったのか?
    創刊号でも嘆きましたが、「日本の総白痴化」の各現象は、その進行が止まらないどころか
    速度を速めているようです。しかしその中でも、もっとも悲しい社会現象が引続き増加して
    いることは憂うべき事態といえます。
    それは、傷害・殺人事件です。それも親子間の愛憎からの殺人事件からはじまり、
    通りがかり・ゆきずりの(何の関係もない他人)への殺人事件、そして最近は、介護疲れ
    から、夫、妻、親への殺人事件(無理心中の場合も多いですが)というなんとも胸の詰まる
    ような事件まで様々です。それぞれに解決しなければならない多くの問題が内在していること
    は承知しているものの、共通して「命」の軽さに驚く次第です。何かを日本人は置き忘れて
    しまったような気がします。

  2、従来日本人が持っていたものとは?
  1. まず手始めに、西洋思想(必ずしも米:欧だけではなく一神教思想というべきか!)と東洋思想を比較整理してみました。(ただ相当割り切った書き方をしていますので、ご異論のある方もいらっしゃるでしょうが、ご容赦ください)
     


西洋の考え方
東洋の考え方
基礎は「絶対唯一神
  その絶対神がすべてを創造し、世の中を導き、そしてすべてを
  正しくする
純化思想、二者択一思想
  神の導きはすべて正しく、その反対は誤り(Aが正しければその
反対のBは誤りと断定)
パラドックスに弱い(理解できない)
  ゆえに、正反対のことが同時に成り立つことが、この思想からは理解不能=絶対的単純思考
思想の流れ
  単純化・二者択一型思想 → 正誤の思想 →自然を克服(人間が1) → 絶対一神教(絶対者は1人でなければならない)
基礎は「多神教
  すべての神は役割別になっており絶対神は存在しない。逆に
すべてのものが神になりうる(ex菅原道真平将門、)
あるがまま思想
  絶対的なものは存在しないし置かない。すべてのものは変化して
おり、絶対的な視点や位置はない
パラドックスは当たり前
  どちらが正しくどちらが誤っているかを選択しない。どちらも
同時に存在しうる=相対的思考
思想の流れ
  そのまま・あるがまま思想 → パラドックスと同棲 → 自然
と共生 → 多神教


 


ではこの思想の影響を、現実世界の中の医学、経済界でみてみます。


 
西洋の考え方
東洋の考え方
医学
始まりは人間の理(=唯一神の絶対)
部分の純化 → 細胞レベルの分析(単純化思想)
 
病める細胞そのものの原因追及と治療
手術、攻撃的薬
始まりは自然の理(=神の共生)
ひとつの細胞も全体の中の1つであり、1個の細胞として独立したものではない(個=全体の考え方)
1つの病める細胞ではなく、全体バランスの崩れを治療
ハリ治療、漢方薬
 
 
経済界
 
経営者・労働者は対立関係(二者択一思想)
現金主義
契約主義
利益は最大が善、赤字は悪
会社は株主(資本家)のもの
  短期業績主義(西洋的―国際会計基準の考え方)
 
 
労働者は家族(全体館思想)
節季掛取り
信用貸し
利益は相手が立って初めて善、独り占めは悪
会社は、株主、経営者、取引先、社員一体のもの
  短期・長期(内部留保)合わせ型


   2、現在の日本人の意識構造
   ① 核家族化の進展に伴う「家族」という中味の変質
     家父長的な組織としての統率と敬い、さらには連帯意識に伴う労わり、思いやり精神が喪失
     するとともに、核家族化の 進展に伴う「個」の強調とそれに伴う友達感覚の付き合い方の
     蔓延
   ② 情報化社会の進展とバーチャル化の発達
     豊富な情報に対する選別能力欠如による頭デッカチ人間が増加し、一方でバーチャル(仮想
     現実)の発達により、周り(社会)がなくても、自分の思ったとおりのことが実現している
     という錯覚人間が増加
   ③ 携帯、ネットによる通信手段の発達による対面会話の欠如
     東洋的思想の発現の場である、相手の動き、相手方の気持ちを察しながらの会話が減少し、
     会話があっても、西洋的思想の「個」を一方的に伝える会話が横行
                         
   ④ 単純化思想の拡がり
     「自分が一番大切=ひとりよがり」が正しいと考えれば、その他のものはすべて悪いという
     西洋思想からくる単純化思想、二者択一思想の蔓延
                         
     「命の尊さ」の欠如、“他己があるから自己がある”“自分は他人に生かされている”と
     いう東洋的意識が欠ける結果となる
  
 3、 私見
    近時の文化・文明の一大転換期は、明治維新第二次世界大戦の2つです。明治維新時には、
    極端な「西洋化」を推し進め、その基本はドイツ型で、権利もあるがどちらかというと全体の
    中における義務が先行するという考え方であったと思います。

    ところが、第二次世界大戦後は、全体主義からの反動でこれも極端な民主主義化が図られ、
    当時のアメリカでも理想的といわれた施策が実践されることになった訳です。「個人の自由・
    尊厳」が最優先され、何ごとにも束縛されない自由を望むあまり、義務の感覚が薄らいで
    いったのだろうと思います。

    従来日本では、このような歴史的事件を引き金にして文化・文明が大きく舵を切られ時は、
    時間をかけて日本的なものへと変革・修正されていったという歴史的事実があります。この
    ことからすると、実はこれからが本当の日本の民主主義が作られる筈だったのではないで
    しょうか!!

    ところが、メディア、インターネットの急速な発達と普及により、徹底したボーダレス化が
    図られ、瞬時に世界のいたるところのあらゆる情報が簡単に入手できるようになり、自己の
    意見・主張の形成する時間のゆとりもなく、(従ってそれをこなしていく時間も無い)極端に
    言えば、それらの情報の1部を自己の意見・考え方と誤解している人たちが多くなっているの
    が現状で、個々人の多種多様性は(形式的にですが)ますます拡がっていき、「一億総個性」
    の時代を迎えたのだと思います。そしてこれが、従来型の日本的な文化形成を阻んでいる原因
    だろうと推察しています。

    東洋的な思想がすべて正しいとは考えていません。しかし少なくとも、現在の日本に今必要な
    のはこの東洋的な考え方の良さを知ることで、またそれしか現在の日本を救えないと考えて
    います。

    微力ですが、徹底した東洋思想である「あるがままをあるがままに」という考え方を素直に
    受け取れるように、常に機会あるごとに色々な人達と話し合っていこうと思っています。現在
    はこれしかできませんが、この輪が拡がっていくことができたら、ひょっとして!という気も
    しています。是非皆さんもこの輪に参加してくださるようにお願いいたします。」