熟年の生きる価値第5回

第三章 交渉前夜
 
第一節 ロサンゼルス空港
 
 「やっと着いたね。早速だが、タバコが吸えるところに案内してくれる!」
ニコチン中毒者のように、秋月が最初にアメリカで発した言葉だった。
 「室長、アメリカでは屋内には絶対ありません。普通であれば、空港ロビーを出たところにそういうのがある筈ですが」
随行してくれた鈴木君が“やれやれ”という顔で応えた。
 やっと、空港ロビーをでたところで喫煙所を見つけ、秋月は、立て続けにタバコを二,三本吸いつけた。
 十三時間ほどの禁煙状態が続いたからか、最初の一服はとてつもなく“うまく”、
秋月は
 「どうしてこのようなものを世界から消滅させようとするのか、捕鯨禁止と同じく酷く理不尽と思わないか?」
とたばこを全く吸わない鈴木に話しかけていた。
そういえば、経営企画室メンバー総勢六名のうち、タバコの嗜好を持っているのは、秋月だけで、鈴木にこの会話に賛同が得られる筈はなかったのに!
 
空港のタクシー乗り場からホテルに向かう
途中で、窓から空を見上げると、残念ながらロサンゼルスの空はドンヨリと曇っていて、冷たい風も吹きつけていた。
これからの交渉ごとの先行きに風雲を告げるような天候に秋月には見えた。
 
 第二節 過去のアメリカ経験
 
実は、秋月にとって、このロサンゼルスは二度目の訪問である。
 
前回は銀行時代の従業員組合(労働組合)の副委員長に就いた時で、※海外オルグの一貫としてアメリカにある海外の支店7ヵ所を一人で回った時である。
 ※海外オルグとは、銀行の海外支店を訪
ね、そこで働いている日本人組合員の
労働条件、福利厚生等の実情を把握す
ること
 
その時は、燦々と太陽が降り注ぐサンフランシスコに最初に降り立ち、ロサンゼルスには高速バスで移動した。
サンフランシスコでは、空港に銀行の先輩が迎えに来てくれ、ロサンゼルス行の高速バスの停留所まで案内してくれたものだから、何の障害もなくロサンゼルスまでは到着した。 だが、バスの降車場から支店に行く道程から苦難の旅が始まったのである。支店に到着するまでの孤軍奮闘、したがって、ロサンゼルスの天気は全く記憶にない秋月であった。
 
実際に、このアメリカ滞在時の天候に関しては、雨は降らなかったということ以外は、天候や景色を愛でるような余裕は秋月にはなかった。
 
その一部始終をお話ししよう!
 
まず、ニューヨークでは、ケネディ空港からマッハッタンまでのタクシーで、白タク強盗に出くわしている。
 マッハッタンの廃墟ビルの駐車場に車を突っ込まれた上で、運転手が
 「Hey!Money!」
と後ろの席にいる秋月に迫ったのである。
南米系の身体のデカい運転手であったことから、『逆らったら殺される』と思い込み
 「All、My Cash!」
と思わず叫び、ポケットからドル紙幣とコインまで彼に捧げていたのである。総額200ドルは優に超えていたか!
 出発前にイエローキャブ以外のタクシーには絶対に乗らないようにと注意されたにもか
かわらずである。
 
 ところが、人間は良くしたもので、その強盗が、何の抵抗もなく巨額(?)な現金を渡した秋月の態度に好感を持ったのか、予約してあるホテル近くまで送ってくれたのである。
流石にホテルの前までは行くことはなかったが、「マッハッタンホテル」という看板が見えるところで車を止め、トランクルームから旅行ケースを取り出したうえ、
 「Your Good Boy!」
と声をかけ握手を求めてきたのである。
 秋月もここは気持ちよく別れようと握手に応じ、無事ホテルのフロントに行きつくことが
できたのである。
 
 ところがである。
そのフロントで、
 「MyName is akira akituki。Resevation」
と手続を進めようとすると、
 「No Booking」
と帰ってきたではないか、さあ、また事件である。
 この予約は、ニューヨーク支店勤務の同期の友人に依頼していたもので、その友人からは
予約は取れているという返事をもらっていた。
したがって、つたない英語で、『予約が入っている筈である』と主張したがうまく通じない。そのフロントは、「秋月 彰」の名はない、と繰り返すばかりで埒が明かない。
 そこで、その友人に代わってもらうため公衆電話で電話しようとしたが、さきほど、強盗運転手にコインまで挙げてしまったので、これも架けられない。
 秋月は、一時、ニューヨークで「野宿か」と覚悟したほどである。
 
 ところが人間は良くしたもので、そのフロントが、困っている秋月をみて、事情を告げるとコインを呉れたのである。
 すぐに友人に電話をし、ホテルのフロントと直接話をしてもらった結果、その原因が判明した。友人は気を利かせて「秋月 彰」で予約を入れたんだが、秋月は、「彰 秋月」とフロントに告げたことから、「予約がない」との返事になったのである。
 日本のホテルでは、このような手違いはフロントがすぐに気づき訂正するものであるが、アメリカでは、余計な仕事はしないのだな、と妙に感心したものである。
 
 さらに、行程の最後、カナダのトロントから日本の成田に帰るとき、トロントの飛行場で、予約してある該当便が掲示板に見当たらない。
 カウンターに行って搭乗手続きをしようとしたら、小太りのおばさんが秋月に向かって英語をまくし立てた。到底秋月の英語力では理解しかねる量と速さ。
 秋月も、理解できないまま「ふん、ふん」と分かったような応答をすると、そのおばさんがチケットにスラスラと英語の文章を書き加え、秋月に渡してくれた。
 そこで秋月は、待合室で辞書を片手にその文章を翻訳しやっと解読した。結果、当初予定の便は運休となり、指定された代替便に乗るらしい。しかも、成田までの直行便ではなく、途中のバンクーバーでトランジットの上、別の成田行きに乗り込むらしい。
 
 秋月は、最後の10数時間は、日本語のできるスチュアーデスにお世話になりながら、ゆったりと帰ろうとして、値は張ったがJALを予約しておいた。それもすべてオジャン!
 チケットに書いてある便名を頼りに
 「まず、間違いなくバンクーバーに向かうこと」に専念し、最後の飛行機に乗り込むとき
にも
 「Toバンクーバー
と、タラップ入り口で乗客を迎えるスチュアーデスに確認して乗り込み。またバンクーバーでは、トランジットする待合室を探すのに手間取り、また飛行機に乗り込むときにも、
 「To成田」
と確認して乗り込んだものである。その時の安堵感は筆舌に尽くし難い気分であった。
 
 このように、アメリカ滞在中は、常に緊張感を強いられ、神経の休まる暇がなかった。
 それもサンフランシスコに始まり、ロサンゼルス、アメリカ南部のアトランタ、さらにニューヨーク、ボストン、次には国境を越えてカナダに入りシカゴ、トロントと、ほぼ1人で移動し、その移動も、ほぼアメリカの国内便を利用しての飛行機である。
搭乗手続きでの会話。
飛行場から支店に行きつくまでの移動するための英語の会話。
英語が不得意な秋月が、よく生きて帰れた、奇跡としか言いようがないとして、
「自分で自分を褒めてやりたい」
といったものである。
 
それに比べて今回の出張は、英語の流暢な鈴木訓が側にいることで、前回の訪問時とは全く異なり、余裕をもってロスの高層ビル群とその背景にある空を眺めることができた秋月であった。
 
「さて、これからの予定は?」
「すぐにホテルにチェックインして、すぐにロバート弁護士の事務所に打ち合わせのために出向きます。」
「ところで、ロバート弁護士は、どういう人柄なんだ。」
「私も一回だけしかお会いしていないのですが、アメリカの当社関係の案件をすべて見ていただいています。たしか歳は40歳くらいで私らよりは若いですが、『やり手』と社長が言ってました。それに、日本語はペラペラだから助かりますよ」
「よし、じゃいよいよ戦闘開始だね」
 
秋月と鈴木は、それぞれの立場で今後の交渉事に想いを馳せ、それから無言でホテルまで直行した。