熟年の生きる価値第9回
第3節 最後の夜
もう外は午後10時をとっくに廻っていた。
「鈴木君、ちょっと遅いが、例の店に行こう。資金は社長もちだから心配なし」
と鈴木君を誘った秋月だが、念のため
「社長が明日帰国するように言っているが
明日いきなり飛行場へ行って、成田への便はすぐとれるの?」
と聞いてみた。
「社長との電話は聞いていましたが、社長のいう通り、クリスマス過ぎは案外簡単に取れると思います。誠に残念ですが!」
「本当? ということは、今日でアメリカが最後の夜になるの!
うそでしょ!」
「何とか今日中に内祝いをやらなきゃ。鈴木君 急ぐよ」
2人は勢いよく駆け出した。
「あらっ!お仕事が終わったみたいですね」
とこれが女将の第一声。
「やあ、嬉しいね!ちゃんと覚えていてくれたんだ。
と答えた秋月は、
「でも、結構遅いですが、大丈夫ですか?」
と確認してみた。
「いえ、いえ、普通はもう暖簾を下ろす時刻ですが、今日は、ホラ、クリスマスでしょ! だから、ちょっと伸ばしたの。
それに、お店を閉めてから、身内のクリスマスパーティーを予定しているんですが、妹がまだ来てないの。
このパーティーには是非一緒に参加して ね!
でも良かった。
暖簾を少し遅くしたおかげで、秋月さんが間に合ってくれて本当に良かった。
もう私、クリスマスプレゼントを頂いた気分よ」
と、女将は、何か意味深な言葉を言って、微笑んでくれた。
「ところで、御仕事の方は成功したみたいですね。
お顔が綻んで、とってもいい顔をしておられるもの」
「ええ、仕事の方は大成功に終わり、今、最高の気持ちです。今日は痛飲しますよ。」
「それはおめでとうございます。じゃあ、私もお相伴させてください。」
と女将は笑顔で応え、その京マチ子風の顔を東洋系の板さんに向けて、
「板さん、あれを持ってきて!
それと、表の暖簾をおろしておいてください」
と言った。
「えっ、もうお店を閉めるの?」
と秋月は驚きながら尋ねると、
「そう、今日の営業はこれで御仕舞い。
もうじき妹も来るはずだから、これからはクリスマスパーティーよ!」
と、女将が割烹着を脱ぎながら答え、板さんが持ってきた一升瓶をカウンターの上に置い
た。
「これは今日田舎から送ってきたものなの。私1人で飲もうと思っていたけど、秋月さんのお祝い、それにクリスマスだし、これを空けちゃいましょ!」
「あれ! 女将の田舎って、新潟なの?
それにしても、『雪中梅』とはうれしいね。
「あら、雪中梅をご存じ?普通の方は新潟のお酒というと『越の寒梅』という方が多いのに」
「いや、水のような越の寒梅よりは、お酒らしいコクのある雪中梅の方が、ずっと新潟のお酒らしいよ」
と秋月が応じると、
「私も同感。やっぱり秋月さんとは気が合うわ。
お店も閉めたしゆっくりやりましょう」
と、板さんを入れて四人で、雪中梅をお酌し合い、大きな声で
「秋月さんの仕事の成功に乾杯!それに、メリークリスマス」
と唱和した。
その時、入り口の扉大きく開かれ、
「お待ち! 遅れてごめん」
と、これまた30歳前後の絶世の美女が、真紅のドレスの上に毛皮のコートを羽織った姿であらわれた。
「妹の沙世です。こちらは秋月さん、それにお供の方。どう!いい男でしょ!」
「そうね。まさしくお母さんの好みの方ね。沙世です。よろしくお願いします。」
「いやいや、女将さんとは2回目なんですが、何となく気が合いまして、このような内内の会に参加させていただいているんです。」
と秋月は、妙にときめいた気持ちになっていたが、
その話題をそらすように、
「ところで今。女将さんをお母さんと呼ばれていたんですが?」
と話題を転じた。
「はい、姉とは12歳離れているし、昔から、何もかも私のお母さん代わりをしてくれていたんです。
だから、小さな時からずっと、お母さんと呼んでいます。」
と、瞳が大きく、笑うと右頬に大きな笑窪が印象的な沙世さんが明るく答えた。
2人が、どのような経緯で、このようにアメリカで過ごすようになったのか、秋月は興味をもったが、未だ逢ったばかりということで遠慮した。
「さあ、皆が揃ったから、狭い座敷です がどうぞ上がってください。」
と、女将さんは秋月たちを奥の居間に誘った。そこには、クリスマス用のオードブルをはじめ数々の料理が並べられていた。
「一応、クリスマスなんで、ちいさなケーキを買っているので、シャンパンはないですが、このお酒で乾杯しましょ。沙世はワインがいいんでしょ。」
「No、私も今日は皆さんにお相伴して、この雪中梅でいきます。
成り行きに唖然としている鈴木君を交えて、女将さん、妹の沙世さん、それに板さんも加えた宴会が始まったのである。
お酒がすすんで、座が少し乱れがちになってきたときに、
「お母さん、クリスマスだし、少しゲームをして遊ばない。」
と沙世さんが言い出した。
内容は、単純なしりとりゲームで、罰ゲームが、恋人にプロポーズする言葉をいうのだそうだ。その言葉が相手に受け入れられると、その人のキスが褒美にもらえるという、何とも「うれしい」罰ゲームを考え出していた。
「あっ、秋月さんが言えなかった。
じゃあ、罰ゲームで、お母さんにプロポーズの言葉を言ってください」
と、沙世さんはこのゲームを仕切り、ハイテンション気味。
「えっ! ちょっと恥ずかしいな!
よし。では、えへん!
『僕に付いてくるかい』」
と昔の歌の歌詞のような言葉を秋月はいった。
すかさず沙世さんが、
「古い。古すぎる文句ね。
じゃあ、お母さん、返事はどうなの?」
そこで女将さんが答えた言葉は、
「不束者ですが、よろしくお願いします」
とたんに、全員が大きな声で歓声をあげ、宴会のムードは最高潮に達していた。
秋月は、ふとデジャビュー(既視感)に襲われた。
そう、京都のお茶屋での「お座敷遊び」のことである。
「あ、いけない。こんなに遅くなってしまった。女将さん、そろそろ失礼するよ。」
と秋月が、この宴会の終了を告げた。
「いやだあ、朝まで飲むつもりでいたのに」
と沙世さんが、多少呂律の廻らなくなった声で不満を表明した。
すると女将さんは、
「そんな無理を言わないの。秋月さん、今日は私どもに付合ってくださって本当にありがとうございます。本当に楽しかったです」
と秋月に頭を下げた。
秋月は、鈴木君を促して、居間の方から、入口の方に歩いて行った。
女将さんも、見送りがてら秋月たちについてきて、秋月の耳元で
「日本に帰ったときは、お尋ねしていいですか?」
と囁いた。
「いいね。是非来てください。その時は私がコーディネートしますよ。
そのときは、このような邪魔者がいないので、もっと楽しいですよ」
と、秋月は鈴木君を指さしながら囁き返した。
勘定はいらないという女将の言葉に感謝しながらも、相応の心づけを加えた金額を女将さんに押し付け、この小料理屋を後にした。
気分の高揚感に任せて、タクシーを拾わずにホテルまで歩いて帰ることにした。
第4節 エピローグ
治安の悪いアメリカであることをすっかり忘れ、肩を組みながら、この4日間を振り返って、大声で、
「でも良くお互いに頑張ったよな!」
「いやー、室長が大声で怒鳴ったときには、本当にどうなるかと思いましたよ。」
「ははっ、ごめん、ごめん。でも一時、あの時はお先真っ暗だったよね」
「でも気が短い室長もよく耐えましたよね!」
「えっ! 私は気が短いかね。」
「えっ! 気が長いと思ってました?」
「いや、長いとは思ってないけどね。
でも鈴木君もねっちりとした粘り腰を持っているのには驚いたよ。先方の弁護士もしつっこいと思っただろうね。」
「ええ、もともと私はアッサリした方なのですが、私自身もビックリしています。」
さっきの『小紫』も、1から10まで日本だったからね」
「まったくですね。
でも室長良く頑張りましたよね。」
「ああ、お互いに良く頑張ったよね。」
いつの間にか2人は、ホテル玄関前に到着していて、お互いの健闘をたたえて固い握手を交わした。
「良くやった。ありがとう」
と秋月がもう1度手に力を込めて握りかえした。
すると鈴木がいきなり抱きついてきて
「室長、ありがとうございます。感謝してます。」
と涙ながらに、私の背に回っている手に力を込めてきたのである。
「長い間、この仕事をしてきましたが、初めて、感動を覚えました。有難うございまし
た。」
秋月も、びっくりするやら、恥ずかしいやらで、大いに戸惑ったものの、とうとう2人は、感極まって、涙をお互いに流しながら、固い「抱擁」となってしまった。
ホテルの正面玄関前での出来事で、
「さぞ、周りに迷惑をかけただろう」
と秋月は思ったが、
実はここビバルーヒルズでは、ハリウッドに向かう途中あたりに、いわゆる「虹色の旗」(レインボウフラッグ)があちこちの家に掲げられているところがあるのである。
同性愛者の尊厳の旗ともいわれ、この付近では、「その手」の交際はおおっぴらに認めら
れるところであったのを思い出した。
「大丈夫、好奇な目で見られることはない」
と安心したものの、
「日本では、2人の秘密にしておこう」
と、鈴木君に念を押すことは忘れない秋月であった。
第1部 終了