スルガ銀行不正融資事件のダイヤモンド記事に対する反論



5月23日付けのダイヤモンドの記事「スルガ銀不正融資事件が日本版サブプライム問題に発展する懸念」(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元氏)配信された。賛同する部分もあるが、異論も多い。30年金融に携わった者として、ここに反論する。
<単なる「問題」ではなく「事件」>
 ・本件を「事件」扱いするのに異論はない。
 ・ただ、「重要な信用データの改ざんした融資の実行は背任で刑事事件である」と
  する部分について
   ★事実は、改ざんされた預金残高を「改ざんされている」と知っていて融資
    審査をしたことが問題の本質
   ★そして、先のブログでも書いた通り、預金残高は融資審査においてそれほど
    重要な要素ではないこと、なぜなら担保として拘束している訳ではなく、
    明日引き出されても文句は言えない代物であるからである。
   ★これを融資額9割という審査基準をクリアするための自己資金部分を確認
    するため、というなら如何に無意味なものかはお分かりいただけると思う。
   ★無意味なものではあるが、さらにいうならば、通常は預け先の銀行の「預金
    残高証明書」を取得するのが普通であるが、それを本人からの預金証明で
    済ましている体制(だから業者の改ざんが介入できる)にこそ問題がある、
    (もし、銀行の「残高証明」を改ざんしたら、それは私文書偽造罪である)
    といえる。
   ★したがって、本件の事件性の本源は、従来のブログでいっているように、
    第一義的には創業者一族とそれに迎合する経営者層にあり、ここに「背任」
    の容疑があるのである。

<組織と個人が暴走するとき>
  ・この項には異論は多い
  ・まず「組織の利益と個人の利益が合致したとき、組織と個人の暴走は止まら
   ない」について
   ★この認識は極めて問題である。組織の利益と個人の利益を合致するときに
    素晴らしい企業活動ができるのであり、この利害を一致させることが経営陣
    の責務なのではないだろうか!!
   ★もちろんそこには、筆者の言う「自分個人の人事評価的利害」はあるが、そ
    のために即悪事に走る、というのはあまりにも短絡すぎるように思う。個人
    の利益もあるからこそ、より一層行動が積極的になり、向上のスパイラルに
    なるのではないだろうか!!
   ★いみじくも筆者がいうとおり「組織の目的・構造・マネジメントのいくつか
    が悪い」のであって、個々人の悪意を持ってくる必要はない。
  ・次に「金融マン個人の利益と、金融会社の利益に完全な一致はない」と断言
   しいているが、これは明らかに間違った認識である。
   ★金融マンが顧客にリスクを取らして手数料を稼ぐのが目的のように書かれて
    いるが、そもそも金融とは何か、というのが分かっておられないように
    思う。金融とは、あらゆる企業、個人にビジネスチャンスがあれば、機会を
    逸することなくそのチャンスを掴めるように資金を提供するのであり、結果
    として国全体の国力が増すのであり、顧客に金利という手数料を稼ぐのが
    目的ではない。
    ただ、これが行き過ぎりとバブルを招き、その後始末に資金と時間が必要に
    なったかもしれないが、これは結果論であり、高度成長があればこそ、今の
    日本の企業活力があり、技術水準があり、また個人の生活水準があるのを
    忘れてはならない。
            ましてやリーマンショックに代表される世界金融危機や1980年代後半の
    バブルを金融マンの暴走の原因とするのは短絡で、政府・日銀の金融緩和
    策、それが因の金余り現象からの投資家の無定見な行動が主な原因ではない
    のか、と思う。
    弊害のみを誇大に採りあげ、客観的な評価をしないのは片手落ちなような
    気がし、ましてや、個人の顧客にリスクを負わせ手数料を稼ぐのが、個人
    の金融マンのビジネスモデルでありうるはずがないのである。

<「銀行の利益」を単純に信じるな>
   ・この項は、まったく賛同できない。
    ★「銀行にとって長期的な損でも、銀行員にとって短絡的に得すること
     なら、銀行員がそれを顧客に勧めることは大いにありうる」というが、
     論理が前段とは異なっている。前段では利害が一致するから暴走すると
     言っているのに、ここでは利害が一致しなくても銀行員個人が暴走すると
     いう論理に代わっている。
    ★さらに経済常識を持ち出し、今回のスキームはありえない、といっている
     が、このような話は、過去から今まで、あるいは今でもゴロゴロある話
     で、何で現在にような低金利時代に「うまい話が転がっているはずが
     ない」と思っても詐欺に引っかかっているのである。「国家的な教育の
     落ち度」とまで言い切っておられるのには恐れ入る。

金融庁の建前には無理がある>
    ・金融庁の建前とは、筆者曰く「保守的な担保主義に偏って融資に消極的に
     なる日本的金融排除があると批判し、有望なビジネスを見極め、あるいは
     育てるような社会的な意義のある融資に積極的になることを求める」こと
     だという。それが何故建前というかは「ビジネスの将来を見極めることが
     難しいろいう能力の限界と将来有望なビジネスが多数あっても儲かるほど
     経済環境がよくない機会の限界」があるからだという。これは間違って
     いる。
     ★「当該ビジネスの将来を見極める」ことが銀行員の本来的な仕事で
      あり、それは経済状況、業界動向等を調査しながら判断するのである。
      確かにその見極めには限界があるが、そのリスクは担保を考えることに
      より軽減するのである。
     ★将来有望と考えてもそれが全部成功する経済環境にはないというが、
      これは当たり前のことで、どのような経済環境にあってもそれは言える
      ことである。ここまで携帯電話が普及するとは誰が予想しえたのか、
      ネット通販が販売・物流の主役を担うとは誰が想像できたのか、ゲーム
      がこれほど儲かるものとは誰が考えたのか、時代環境が大きく構造を
      変えてしまったのである。
     ★私は今でも、銀行員は誰でも「半沢直樹」になりたいと思っているし、
      そのように行動していると考えている。
     ★金融庁長官のお褒めの言葉はいただけないが?
     ★地銀業界が生き残るとは思えないし、無理に生き残らせることがいいと
      は思えない、というのは暴論に近い。メガバンクを筆頭にした金融業界
      のバランスは考えるべきであるが、メガバンク自体がその業態を変えて
      いる中にあって、本来金融とは、という原点に返って、地銀が地銀と
      しての、信用金庫は信用金庫としての国民に対する役割があるので
      あって、それを時代変化に合わせて適正に整理していくことだと思う。

<スルガ型サブプライム問題の可能性>
    ・本件の不良債権の問題と、米国のサブプライムの問題とは本質的に
     まったく違い、その危険性はない。
     ★米国のサブプライムは、銀行等が信用度リスクが高い、と宣言している
      住宅ローンを、利回りが高いという1点のみで投資家が群がった結果で
      あろう。本質的に違い、このスルガ銀行不良債権問題は、その
      オーナーに被害が限定されるはずである。
     ★さらに気にかかるのは、筆者が「信用拡大」を悪の権化のように論じて
      いるのには違和感を感じざるを得ない。まさしく金融の本質は「信用
      創造」でその信用創造機能があったればこそ、産業が機会損失なく発展
      し、ひいては経済全体が活性化したことを忘れてはならない。
     ★最後に筆者は「金融業界として金融マン個人への制御がきかないと、
      金融マンの仕事はこのバブルを着実に増大させる」というが、個人の
      制御の問題ではない。
     ★本件スルガ銀行に置き換えると、創業者一族とその取り巻きの経営陣が
      問題であり、個々の銀行員は、人事的高評価をも念頭に置いていたと
      しても問題の本質にはならないと思う。
     ★ご疑問の場合は、私のブログの「スルガ銀に関するブログ」を是非とも
      読んでいただきたい。