メガバンクの「支店長」が消滅する日を読んで

本件記事は、週刊現代の5月19日号に掲載されていた。
すなわち、
「銀行員の出世の象徴だった支店長。今その待遇や働き方が想像を絶するほどに激変している。安定、高給の人気職種だったのはもう昔の話だ」とする。
内容は、
従来の店舗型の銀行業務は縮小し、AIが審査にとって代わり、店舗数も人員が大幅に減少する。
さらに業態が預金貸出業務では稼ぎだせない為、投資業務に集中投下する。
結果として、支店長になるには相当な困難を伴うし、かつ支店長の年収は大幅に下がり600~700万円の年収がやっとといっている。

時代の急激な変化に伴い、銀行業務の中身も変わらざるを得ないのはよく理解できる。
しかしながら、その方向にまっしぐらに突き進むことが本当に「正解」だろうか、と疑問をもっている。

それを考える前に、昔の銀行の支店長の風景を見てみよう。
 「午前8時55分。朝礼による支店長訓辞を終えてから、その男は支店長室に直行した。

  入室するや否や、すぐに、模造紙を机一杯に拡げてみせた。

  模造紙には、支店の営業数字がグラフ化され、目標との乖離が一目で分かるように色
  分けされたものだ。
  その男は『こめかみ』に手を当て、
  「さてどうするか!」
  支店の営業成績が悪いのだろうか、ため息をつきながら、椅子に深々と座り込んで
  しまった。
  何と、その男が座り込んだその椅子は、総革張りの、背もたれが頭の上にまで達する、
  なかなかの年代物のようだ。
  ただ、この男をよく見ると、彼の眼は全く数字を見ていないことが分かる。
  色グラフの色は確かに瞳に映ってはいるものの、数字自体は写っていないのである。
  一体、どうしたというのか?
  「昨日はちょっとハメを外して飲み過ぎたな。頭が重い」と独り言。
  なっ、何と!彼は、単なる二日酔いで頭を抱えているに過ぎなかったのである。

  ここは、大手都市銀行の支店長室。
  しかもその銀行では大型店舗に属し、融資額、預金額ともに2500億円を超え、
  従業員も120人、パートを含めると130人の規模を誇り、その銀行においても有数  
  の店舗である。
  ちょっと支店長室を少し覗いてみよう。
  70年以上の歴史と伝統を誇るかのように、その広さは優に20坪以上はある。
  調度品も、代々の支店長が使い込んだと思われるデコラ張りの大机、その大きさは両手
  を広げても届かない。
  その大机の前には本革の黒っぽい巨大な応接セットがこの部屋のかなりの範囲を占めて
  いる。
  さらに、支店長の大机の後ろには、木目調のこげ茶色がいかにも年代を感じさせる飾り
  棚があり、京都の清水焼と思われる「深青色」鮮やかな、直系1メートルは優に超え
  ようかという大壺が飾られていた。
  周囲の壁を見回すと、窓を除いた三方には、5号から10号くらいの油絵が、風景画を
  中心5枚が架けられていた。
  この不必要な大きさと高価な調度品は、意識的か無意識的か、この支店長室を訪れる
  人たちに、ちょっとした威圧感を感じさせる部屋である。
  ただ、その部屋の中で、この部屋の威圧感を和らげているのは、御堂筋に沿って開いて
  いる西側の大きな窓と部屋を彩っている花木であろう。
  大きく切り取られた西側の窓には、窓枠を額縁として、まさに真っ盛りを迎えた
 イチョウ木々とその「深黄色」の葉が目に飛び込んでくる。
  また、執務デスクの上と飾り棚の端には花瓶があり、そこに何気なく投げ込まれている
  が真っ白の菊の花である。
  この二つの色の明るさと透明感が、部屋全体に拡がり、この部屋全体の雰囲気を明るく
  している。
  何のためにこれ程の部屋が必要か、理解に苦しむところだが、本日に限っては、この男
 ただ1人の二日酔いを癒す場所にしか過ぎなくなっている。」

 以上は、自らの支店長時代をベースにした私小説の一節である。
 年収もサラリーマンに拘わらず、確定申告をしていた。
 殆ど毎夜、取引先の接待(仕向け、被仕向けを含む)をこなし、毎週の土日はゴルフと
いう毎日で、支店長は「頭ではなく身体で勝負」と考えていた。

 今から考えると「夢のような」日々であったように思い、後輩銀行員には申し訳ない
が、ただ、これを全面否定するつもりはない。
 大きな支店長室を与えられることにより、プライドと責任を重く感じることができる
し、それだからこそ部下行員の行動には、それを知っていたか、知らなかったに拘らず、
全責任を負う気概を持っていた。
 また、取引先に対しては、表面上の数字を超えて中身の実態を把握できたし、あえて 
「あぶない」融資も、この企業にとって今が必要だと思えば、本部の審査部を日参して
説得したものである。
 これは、AI機能で判断できるのか、社長の性格は、後継ぎの仕振りは、財務の責任者
の行動特性は、どのようにAI機能に織り込むのか、疑問と思っている。

 社会の変動は繰り返しであると思っている。このような長期低金利が永遠に続くとは
思わない。その時に銀行員という「人」を大事にしない付けが、また銀行を再び襲い、
業種として消滅する危機さえ含んでいると思えてならない。

 「いい思い」をしてきた人物として、もう1つ付け加えたい。
 安倍首相に対する忖度による財務省のあってはならない文書改ざん、大手企業のデータ
改ざん、スポーツ界のパワハラ等々、社会のあらゆるところでの「絶対服従」感の蔓延が
あるが、昔も上司に対する服従はあった。しかし、今は、それが違法行為であっても絶対
服従するという点で従来とは大きく異なると思う。
 私は取締役にはなれなかったが、残念だと思いはしたが、「仕方がない、自分を評価
しているのは何十人にも及ぶのだから、評価は正当だ」と思っていた。だから、上司には
甘えもしたが、言うべき意見も言ってきた。それはこの上司だけが私を評価するわけでは
ないと思っていたからである。
 今は、側近の「有為やつ」ということだけで後継とする小人物のトップが多くなった
ため、絶対服従しておけば間違いなく後継になれると思うから、違法行為でも手を出す
のであろう。

 そのように考えると、現代のこの風潮の淵源は、それぞれの業界のトップ連中の人物