お笑いと政治風刺

 8日付けの日刊スポーツで「笑点」で、政権に対する風刺や批判的な回答を連発して、ネット上で「笑いまで政治的偏光するようになったのか」との批判が殺到しているらしい。また、同じ日の日刊ゲンダイで「オリラジ中田」がテレビから姿を消した理由として、コメントは至極妥当であるが、お笑い芸人としての落とし込みがない、ということらしい。

 本ブログでは、政治家、企業トップ、スポーツ指導者等の「体たらく」を論じてきたが、日本国民自体が「体たらく」なのかも知れない。

 「笑点」では、周囲の騒音や苦情に耳をふさぐというシチュエーションで、「安倍晋三です」「どうしたの?」「トランプ氏から国民の声は聴かなくていいと言われました」と回答することや、「麻生太郎です」「どうしたの?」「やかましい!」との回答が批判を受けているのである。
 これがどうして政治的偏光なのか、理解に苦しむ。モリカケ問題の安倍総理の態様は世論の6割以上が不可解感を持っているし、麻生財務大臣の上から目線の態度には日本人として恥ずかしい思いを持っている国民も多いはずである。それをお笑いネタにして国民の不満のはけ口とすることが、どうして政治的偏光と理解するのか不思議でならない。
 また、中田氏のコメントは、テレビ局の思惑を無視してのコメントとして、ほかのコメンテーターと一味違う(ほかのコメンテーターは、持論よりもテレビの番組から外されないために、テレビ局の思惑通りのコメントしかしない)発言をしており、従来から応援していた芸人である。新聞記者は「本文はお笑い芸人、求められるのは正論ではなく、笑いとやすらぎ」とするが、情報番組で「笑いと安らぎ」はないだろう。お笑い芸人のコメンテーターは他にもいるが、「お笑い」を取ろう、取ろうとしているのが目について、聞いてはいられない。その中で正統派を外すテレビ局の姿勢の方が問題で、また情報番組でもお笑い芸人には「お笑い」しか求めない視聴者の方が問題であろう。

 1億人の国民には、右寄りから左まで、様々な考え方の人がいるのは当たり前で、それこそ民主主義の表れとみるべきかもしれない。
 だからこそ、右寄りは何事に対しても徹底的に右寄りになるのではなく、また左翼は何事に対しても左翼的な見方をするのではなく、ある物事では右寄りに、他の物事には左寄り、という風な考え方が普通ではないだろうか!
 国民1人1人が、バランス感覚を持った人間でありたいと常に思う。