森本紀行氏の「スルガ銀行の何がいけないのか」を読んで



 同氏の表題の論文を読んで、まず、すべてが「きれいごと」で済ましており、これを読んで「なるほど」と理解する人はいるかもしれないが、「納得する」人はいないのではないか、元銀行員の私は思う。
 以下、その疑問点を指摘していきたい。

 1、同氏は、「金融は、それ自体としての意味や目的を持たず、金融の外にある本
  来の目的を実現するための手段にすぎない」という。また「金融機能を使わなく
  ても目的を実現できるのであれば、金融は不要です」とまで言っている。この考
  え方が本論文のすべてを貫き通している。
   しかし、「物」を作るのも、「物」を動かすのも、「物」を消費するのも、す
  べて「金融」を媒体としなければ何も動かないのが現実の社会の構造である。
  「物」を作るには、「お金」を払い材料を仕入れ、「お金」を払い作り手を雇わ
  なければなりません。「物」を動かすのも、「お金」を払い動かす物を買わなけ
  ればなりませんし、運ぶ人をお金を出して雇わなければなりません。そしてその
  「物」を使用するのもお金を支払う必要があるのです。
   そこに自ずから「お金=金融」の「意義」を見出さなければならないし、その
  為の「目的」も持たなければならないものと考える。
   それは何か?というと、余るところから足らざるところへの資金移動であり、
  それにより社会活動の円滑化を図り、ひいては日本経済の発展に尽くす、という
  ことではないだろうか!(というふうに昔教えられた)
   同氏も今回の事件のスルガ銀行が「金融の本来の目的を逸脱していることが問
  題」と指摘しているが、金融に本来の目的があるのは自認しておられるのだろ
  う。

 2、そして同氏は、その目的が「顧客本位」という。あるいは金融庁の「顧客との
  共同価値の創造」という。
   言葉は違うが、言っていることは私と同じことだと思う。
         同氏のいう「顧客本位」とは、「単に融資可能かどうかの判断をするだけでは
  なく、顧客の目的に”真に適するように”、債務の負担力等を”総合的”に勘案して”
  無理のない”弁済になるように、事業計画にも”適切”に助言するなど、顧客との”
  協働”が求められるのです」という。
   そして顧客の目的に真に適するように、とは、「豊かな生活のために副収入を
  得るという目的に忠実であることを意味するらしい。
   また同氏は、以上をまとめると「万が一の場合でも無理をすれば顧客の所得の
  範囲内で弁済できる、あるいは不動産を売却すれば弁済可能という見通しの下、
  融資可能な上限まで事業を拡大するように持っていくことは、銀行の利益のため
  で顧客本位ではない」とする。
   顧客の目的が、豊かな生活のための副収入を得る、ことだろうか?それこそま
  さに株式に投資することと同じであろう。そこに金融に対する「実需」はない。
  だからこそ、投資等はよほどのことがない限り、企業では余剰金で、個人では預
  金等の余り金でなすべきであるといわれているのである。個人が老後の生活に不
  安を感じ、年金以外にも安定的な収入が必要と感じ、それを家賃収入で得たい、
  と考えることが実需である。
   また、同氏が纏められたことは、何が悪いのか理解に苦しむ。万が一のことが
  起こった場合のリスクを考え、そのための収入がなかっても、所得の範囲内ない
  しいざの時は不動産売却で弁済できれば何の問題もないのではなかろうか!それ
  が何で銀行の利益のみで顧客本位ではない、というのか。

 3、同氏はこの論法で、スルガ銀行の場合、土地所有者に賃貸物件の建築の提案は
  顧客本位ではなるが、土地の取得と賃貸住宅の建築を提案するのは、金融の本来
  の目的の逸脱であると断罪するが、これは単なる融資案件におけるリスクの見誤
  りであり、「銀行員の正常な常識」があれば、起こりえない問題であったのだ。
  じゃ、なぜこの問題がおこったのか?
   それは、私が従来から言っているように、強烈なオーナーの存在と、それを忖
  度する経営陣のもとに、その常識が「麻痺」したのに他ならないのである。

 4、その他この論文で付言しておきたいことは、以下の通り。
  ① 顧客本位は客観的なルールによって実現することはできない、という。銀行は国民にとって命の次に大切なものを預かっている関係上、応対する銀行員個人の個性は厳禁で、すべて統一したルールに則って処理すべきものである。それは案件の審査においても同様である。スルガ銀行はその審査ルールを作った方の方にその問題の本質があるのである
  ② スルガ銀行の革新性を同氏は評価していますが、個人融資を軸に広域展開することが何故革新性なのか、銀行は昔からやってきたことで、企業融資等が長期の低金利政策の影響によって採算が取れなくなってきたためによる行動に過ぎないのです。