日本沈没ー日本の閉塞感・無力感(その5の続き)

   前回(その5)で新人の1日を描いてみた。
  本日は、2、東京郊外支店長の1日と、3、旗艦店舗支店長の1日と1週間を描い
  てみた。

  2、東京郊外支店長の1日
   42歳で最初の支店長を命じられた。場所は東京郊外で、比較的古くから東京の
  ベットタウンとして栄え、赴任当初は駅前再開発の真っ最中の小田急沿線の店舗
  であった。店舗性格は個人預金をかき集める使命を持っており、公社に土地を
  売った地元の農家の方が大口預金先であった。
   朝8時ころ出勤し、1階ロビーに全行員を集め朝礼を開始。9時店舗のシャッ
  ターを開け、店頭に立ってお客さまを迎える。しばらくすると駅前でホテルを建
  設中の地主が相談事ということで、支店長室に通し、1時間ほど話し込む。そう
  こうしているうちに15日の年金受け取りに、大勢のお客様がローカウンターに
  押し寄せる。その店頭整理を手伝うと同時に、受取口座をお持ちのお客様に粗品
  を手渡す。その粗品も十二支の土鈴で、2年間口座を維持していただければ、十
  二支の土鈴すべて揃い、すべてを飾るケースを最後にお渡しするという、工夫も
  したものである。
   昼前になって、そろそろ食堂に行こう(このころは銀行は自前の食堂を備え、
  賄いの人も銀行が雇っていた)と思ったところ、お客様が裏口からきて食堂に上
  がっていったとの報告。急いで2階の食堂に上がっていくと、その途中の廊下は
  泥まみれのありさま。そのお客様は、食堂で籠一杯の様々な野菜を差し入れてい
  るところで、足元を見ると畑の泥が付いたままの長靴であった。このお客様は大
  口預金先の地主さんで、駅前の大邸宅に住んでおられるものの、まだ畑仕事は続
  けられ、その収穫の1部を「おすそ分」として差し入れたものらしい。
   だが、実はここからが問題となる。その方はお酒をこよなく愛しておられるの
  だが、娘さんを事故死で失って以来、寂しさを紛らわすために深酒気味。そして
  そのお相手が、かくいう小生なのである。「食堂のおばさん」が何も言わないの
  に、当然のごとく、持ち込まれた野菜をすぐに「おひたし」にして、ビールの大
  瓶2本と一緒に机の上においていくのである。家でも昼からのアルコールは家内
  に許されていないのだが、仕事としての昼酒はやむを得ない、と観念して3時こ
  ろまでお付き合い。
   その後、お酒に酔ったその地主さんを支店長車を使ってお送りし、奥様に丁寧
  にご挨拶。すぐに店にとんぼ帰りし、勘定の締めに立ち会い、個人ローンを含め
  た融資案件に目を遠し、決済印を押す。
   これでほぼ7時過ぎ。今日は各係との懇親の日であるので、早々に近所の居酒
  屋に駆けつける。
   「本当に、大手都市銀行の支店長なのだろうか!」と忸怩たる思うを抱きつつ
  11時ころ家路につくことになる。

   もうこのような極端な郊外店舗はなくなっていると思うが、テリトリー内の住
  民とは、お金を預かっている、あるいは融資をしているという関係を超えて、
  様々な、それも銀行業務とは全く関係のないことまでも含めて相談された。2年
  半後に転勤が決まった時には、本当に涙を流していただいたお客様がいた、とい
  う事実は、今の銀行、特にメガバンクには絶対見られない光景であると、自負し
  ている。それが銀行の収益と直接結びつかないことで無駄である、あるいはあっ
  たと今の経営陣はいうのだろうか?

  3、旗艦店舗の支店長の1日と1週間
   大阪の北のど真ん中の店に転勤となった。70年以上の歴史があり、しかも合
  併銀行の宿命として、隣の大型店舗を吸収したばかりであったので、この時期と
  しては珍しく、店舗の行員は200名を超えていた超大型店舗であった。取引先
  も古くからのお客様が圧倒的に多く、それだけに取引先の業績も極めて安定して
  いる製造業が多かった。前任の支店長との引継ぎ期間は4日間となっていたが、
  1日30社を訪問してもとても間に合わず、殆どの取引先は電話での挨拶とのみ
  となった。支店長室もバカでかく、調度品も古くからの名品を置いていたらしく
  重厚な雰囲気に包まれていた。
   朝の7時半に出勤。朝の間に昨日見残した融資案件等の決裁に済ます。8時
  半、全体朝礼で、あまりにも人数が多いので、挨拶および注意事項もマイクを使
  う。9時、店のシャッターを開けるときは店頭に立ち、それから事務各課の課長
  会議、続いて営業各課の課長会議と続く。引き続き午前中は、2~3社訪問し、
  昼前にお客さまとの約束のランチを予約している店に直行する。
   あまりにも取引先が多く、先方にとっては2~3か月に1回程度のものである
  が、こちらはほぼ毎日、どこかの取引先と会合を持つ。夜だけでは間に合わず、
  ランチの時間も利用するのである。
   ランチの取引先を見送って、お店に帰り、案件の事前相談を行い、引き続き午
  後のお客さまを3~5件訪問する。終了すると6時、それから1時間程度融資案
  件等の書類決裁をし、夜のお客さんとの約束の場に駆けつける。この場合、ほぼ
  1次会で終わらず、2次会は当たり前、どうしても断れない場合は3次会まで付
  き合ったものである。
   大体深夜家路につき、考える暇もなくベッドのもぐりこむ毎日でった。「旗艦
  店の支店長は頭はいらない。体が丈夫で酒に強ければいいのか!」と自嘲してい
  たのを覚えている。
   この取引先との会合は、土曜。日曜まで続く。そう、ゴルフのお誘いで、月の
  うち土曜・日曜の半分以上はつぶれることになる。我ながら、体も壊さず、よく
  2年も続いたものだと、自分で自分を褒めてあげたい心境になる。

   このような光景も、今ではほとんど「過去の遺物」として見られないのだろう
  が、ここまで付き合っていると、取引先の内情が非常によく分かる。幹部・社員
  の言動、女性職員の笑顔等から、「あら、ちょっとおかしい」と感じるのであ
  る。今は全く取引先の内面どころか顔さえも知らない場合が多いのであろうが、
  これでは本当の融資はできないものと自負している。
   もっとも「融資では儲からないから意味がない」といわれるかもしれないが、
  後述するようにいつまでも逆ザヤが続くはずがない。その時になって融資は、
  AIに頼ることになるのだろうか?

  4、このように見てくると、本人も感じるほど「無駄」が多い時間を使っていた
  ように思う。金融技術の発達により手間が相当省け、その時間を他に回すことが
  できるのは、大いに歓迎する。
    しかし、その余った時間を何に使っているのか?ということが今度は問題に
  なる。今もそうだが、経営者は直ぐに人員整理を考える。そうではなくて、昔の
  ように取引先を本当に知る、あるいは理解する努力に使ってみてはどうだろう
  か。商売の原点は、お互いの「信頼関係」それに基づく銀行も「信用」が基盤と
  なっていることを忘れているような気がする。

   次回は、銀行の機能が現代でも機能しているのか検証するとともに、その結果
  としての銀行の合従連合をお浚いすることにする。