前回の続き

  前回、字数オーバーで、最後のコメントがなくなったようです。
  今回、改めて、その部部だけ掲載します。
  

 「1971年の旧第一銀行と旧日本勧業銀行の合併を先鞭とするが、暫くは旧

 第一勧業銀行と、太陽神戸銀行の2行の合併に留まっていた。

  それが1990年代に入り一気に加速し、2000年の初頭において、ほぼ現在

 の都市銀行4行の体制になった。


  高度成長期から安定成長期を経て、日本経済も順調に推移していたが、
 第一次(1973年)第二次(1980年)を契機として、「失われた20年」と言
 われる時期に差し掛かったのが、丁度1990年ころからである。銀行収益の
 悪化と共に、このころの銀行経営陣が、「船に乗り遅れるな!」とばかり
 に、「我も我も」と合併競争の渦の中に身を投げ入れたのである。


  本当に合併の「必然性」があったのか? 合併に走らなければ、当該銀
 行は消滅したのか、本当いその検証は慎重にやったのか、渦中にいた1人の
 元銀行員として、未だに釈然としない気持ちを持ち続けている。
 「今更」の感であるが-----------------


 


 4、次回は、いよいよこの項(その5)の最後として、銀行の「構造不況
 業種」化の原因と言われるのを指摘し、それが「本当なのか?」を検証す
 ると共に、今後の銀行の在り方に関する私見を語ることにする。