デイリー新潮8月15日配信「キャスターたちの薄っぺらの試験は無意味」を読んで

 これは、元テレビ朝日の報道制作部長で現在国際ジャーナリストの廣淵升彦氏の意見で、著書「メディアの奢り」の中で語っていることだそうだ。


 すなわち、テレビのキャスターあるいはその横に座る〇〇新聞編集委員氏は、オピニオン(意見)を言うな、ファクト(事実)だけを伝えろ、と。なぜ、オピニオンを言うかというと、その人たちに何らかの使命感や正義感があるかもしれないが、使命感が昂じて独善に陥るからだ、という。


  ちょっと待って! 同氏のキャリアはテレビ朝日の報道制作部長じゃないの! 世界的に誤解が蔓延している慰安婦問題の切っ掛けは「朝日新聞」じゃないの? 
 同氏は、ファクトのみを伝えるべきだというが、その「事実」が間違っていたのが「朝日」じゃないのですか?
 新潮社記者は、同氏に媚びて、朝日テレビ局が「偏向」と厳しく批判されるのは、同氏が朝日の現場を去ってからというが、事実(ファクト)が間違っていたのだから、同氏が「メディアの奢り」なるものを書くのは、10年早いように思う。


 同氏のキャリアからいえることは、この「慰安婦問題」の誤解をどう解いていくのかを考えるのがまず先決で、後輩のテレビキャスター等に「訓示(?)」を垂れる資格はないのではないか!!

 さらに言うならば、キャスターがファクト(事実)だけを言うのが役割だとすれば、キャスターなんて必要はない。新人のアナウンサーに原稿を読ませておけば良いのであって、かつ編集委員が横に座るのは、その新聞の主張を言うためであって、オピニオンを言わないのならば出演する必要はないのではないか?


 問題なのは、これは同氏も指摘しているとおり、「薄っぺらな私見」を述べることであって、だから「しゃべるな!」というのではなく、「深く考えた私見を述べろ」というべきであろう。
 確かに、最近のキャスター等は、採りあげる話題に対して「勉強」していない。もう少し「勉強」してもらうことが必要であるし、勉強した結果の「私見」について、局側が、その私見に方向性を示唆したりしないで、介入しないことが重要と考える。

 マスコミ界でそれなりの地位に就いたジャーナリストが、その本質がわかっていないことは残念なことである。

 もう1つ小生が言っておきたいことは、同氏は、業界人が「社会の木鐸」意識、すなわち社会の人々を目覚めさせ、教え・導く意識は持っていると自慢げだが、これ自体が鼻もちならなし、その意識をベースにしているのか、新聞社、テレビ局にいる人種の「奢り」は目に余るものがある。


  同氏がやるべきことは、後輩たちの「礼儀」であり、「謙虚さ」を教え、諭すべき役割ではないかと考える。