日本沈没ー日本の中における「閉塞感」「無力感総まとめ①

日本沈没-日本の中における「閉塞感」あるいは無力感
-「怒り」→「愚痴」→「諦め」→「無力感」-
 
1、はじめに
   第一線の職場を離れて相当期間経過し、メディアをはじめ情報を丹念に見る、ある
いは聞く機会が増えた。
政治の世界では、安倍首相のモリ・カケ問題から始まり、財務省の文書改ざん、財
務官僚の国会答弁の偽証、文部科学省幹部の贈収賄等が新聞紙面を賑わし、また、経
済の世界では、往年の超一流企業の粉飾、データ改ざんの不正等が明るみになり、身
近では、レスリング協会のパワハラに始まり、日大のフットボール事件、日本ボクシ
ング協会の不正と、次から次へとテレビの朝の情報番組に材料を提供しているようで
ある。

この日本のあらゆる分野で起こる各事象に対して、最初は「怒り」をぶつけ、「いい
加減にしろ!」と怒鳴りつけていた。ところがその各事象が次から次に現れるにした
がって、今度は、各メディアのその道の「プロ」たちのコメントに「愚痴」を言い始
めるようになった。「おいおい!そんな表面的なコメントは恥ずかしいだろう!如何
にテレビ局に使ってもらいたいとしてもプライドがあるだろう!」と。しかしそれで
も事件が頻発すると「諦め」の境地から「無反応」になっていく自分を発見した。そ
して到頭、無反応から「無関心」でいる自分を発見した。すなわち事件が起こる度に、
「またか、どうでもいいや!」、になってきたのである。
 
現役の時は、何事も前向きに捉え、まず体を動かしてみた小生にとって、一体何が
自分の中で起こっているのだろうか、ただ、「歳をとってしまった所為なのか」とも考
えたが、自分自身を振り返る意味で、一度検証してみる価値があるのではないか、と
考えるようになった。

そこで、政治の世界から何が起こっているのかを改めて検証し、次に経済界の様々
な切口からその事象とその原因を探り、最後に、日常生活の身近の事柄についても振
り返ってみようと思う。
 
その結果、何が一体見えてくるのかわからない。でも結局最後には、「やっぱり愚痴 

にすぎないのか」のかという感想を持つ恐ろしさを感じながら------。

 
2、政治の世界における閉塞感・無力感
(1)安倍1強の功罪
   ① 国会の形骸化
     このたび長期にわたる通常国会が閉幕した。いろんな意味で考えさせる通常国
    会であったが、何よりもまず、民主主義の根幹である三権分立の要(カナメ)
ある「国会」が著しく形骸化してしまったことである
     唯一、法律を制定し、議論の府である国会が、不毛な議論(?)の応酬の場と
    なり、見方によっては、議員のパフォーマンスを示す場となり果て、一方、与党
の応答は、上から目線の“からかい”や「記憶にない」という言葉の繰り返しに
なっていた。そこに「真摯に向き合う」という姿勢の欠片も見えない。
     この原因は、勿論、議員の資質の問題(数々の議員のスキャンダルもうんざり
するほど聞かされた)もあるが、ひょっとしたら、制度としての「議院内閣制」
にあるのではないか、と考えた。
 
   ② 議院内閣制の功罪
     議院内閣制とは、内閣が議会に対し責任を負い、その存立が議会の信任に依存
する制度であるが、その特徴は、議会の多数派が内閣を形成し政権の座に就くこ
とにより、立法と行政の協力関係が築かれることにある、と説かれる。
     しかし、実際は、あまりにも内閣(行政)の力が巨大になり、行政府の吏員の
前に、国民に選ばれた議員であることを忘れているようである。
 制度の本旨からいえば、その他の与党議員が牽制役を演じなければならないのだ

が、演者は全く見当たらない。

 何時ごろからだろうか? 最高権力者の総理大臣を務めた議員が、後継の総理大

臣の下で、1閣僚として甘んじている風習ができたのは?

 そう、昔は首相経験者が、お目付け役として与党内に「にらみ」を利かし、正しく牽制役を演じていたが、今は全くその影響が見られない。(中曽根、森、小泉、麻生等々)
 
     ただ、以前は、行政の実務を担う官僚(特に高級官僚)たちが、この政治家た
ちの暴走を牽制していた1時期があった。
 
   ③ 高級官僚の変節と堕落
     ところが、この歯止め役の官僚が、「一体何を考えているのか」情報は漏洩す
    るわ! 大量の文書データは改ざんするわ! 国会で嘘をつくわ!とにかく滅茶
    苦茶なのである。
私が現役時代、財務省(昔の大蔵省)、文科省(昔の文部省)の官僚と接触して
いたことがあるが、当時では考えられないことが起こっているのである。
確かに、当時の官僚は、現場を知らない時代錯誤的な感覚は持っていたが、「
の国は我々が動かしている」という自負(プライド)のもと、融通の利かない厳
正さを保持していたように思う。
厚労省経産省どころか、官僚の官僚たるゆえんの財務省が、この状態に陥っ
    ているのであるから、「何をかいわんや」である。
 
   ④ 安倍1強の根源の見極め
     この官僚の堕落は、組織人として最も関心の深い「人事」を内閣府に握られた
ことから始まった。人事を握る者にすり寄るという、普通のサラリーマンの世界
に入り、自らのプライドを捨て、忖度するのである。
     怖いのは、国会で嘘をついた高級官僚も、「内閣に忠誠を尽くした」ということ
で、その後の人生が安泰であったとしたら、このような官僚は今後も続々と現れ
ることだろう。
 
     ここで、この安倍1強の根源は何かを考えてみたい。
安倍首相自身に「国を率いる資質、能力」があり、リーダーシップに長け、他
の政治家の追随を許さないことが、安倍1強になった理由だろうか?
 
それは違うように思う。
各社のアンケートの中味を見れば明らかなように、安倍首相に代わる政権担当
者がいないだけであることに気づく筈である。
 
     昔、与党の派閥が華やかなりし頃、政権を担当する首相は「少しのミスで、他
    の派閥の長に政権をとって代わられる」という緊張感があったが、今は、全くそ
    の雰囲気がないのである。政党交付金制度が発足したことにより、派閥の長の権
力が減退したのは事実であるが、それでも何十人かの議員を率いる派閥のリーダ
ーである。見識と共に覇気を感じさせない今の派閥(?)の長には、全く昔の面
影は見えないのは残念である。
 
     もっとも、この安倍1強にした最も重い責任は、野党およびその議員たちでは
ないだろうか。
 
(2) 野党政治家の責任
     民主党政権時代の野党政治家の「だらしなさ」「時代錯誤的なパフォーマンス」
「政治を分かっていない坊ちゃん」などを国民は経験し、野党政治家に対して「ト
ラウマ」になっている。
そこに、希望の党の設立から始まった一連の野党の離合集散を目の当たりに見
て、最初は期待を持っていただけに、「やっぱりダメか」と国民は思ってしまった
のである。
     昔、政権の一翼を担った人たちが、野党に立ち戻った時に、安倍追求の急先鋒
となるのは良いが、「中味のない叫び」だけとなり、「昔の政権を担った時の経験
は、一体何だったの?」と言いたくなる。
 
   ① 調査・分析能力
     野党の政治家、特にその指導者は、自らの存立に対する危機感はないのだろう
か! その存立基盤の危うさに気づかないのだろうか?
     もし、それを知っているなら、どうして、政治家の資質を磨き上げ、問題に対
する調査能力を飛躍的に向上させる工夫をし、それに対する綿密な分析を行う力
を、どうして身に着けないのだろうか?
 
     今、野党の国会の質問が、すべてマスコミからの受け売りだけであり、それで
は、国民が耳を傾ける筈はないのである。
 
ふっと思い出した。爆弾男、楢崎議員の名を! 彼が国会の質問の場に立ち、
ロッキード事件リクルート事件を追及する場面で、彼が質問席に立っただけで、
閣僚及び政府関係者は緊張したという。
昔が懐かしいな~。
 
   ② 政党助成金の廃止