日本沈没ー日本の中における「閉塞感」「無力感」まとめ最終回
(3)日常生活の中でみる閉塞感・無力感
政治の世界や経済の世界、あるいはスポーツの世界における閉塞感・無力感より
ももっと切実な閉塞感・無力感が身の周りにある。
① 年金の現状と課題
ご案内の通り、日本の年金財政はこのままでは将来必ず破綻する。現在は、現役
世代3人で1人の年金を支えているが、2050年には、現役世代1人で1人の年金
を支えると予想され、爆発的に人口が増加しない限り、破綻は目に見えている。
おそらく何もできない政治家は、小手先の政策として、支給年齢の段階的な引
き上げ、大幅な年金受給額の減額、あるいは年金保険料のかなりな増額という弥
縫策に終始すると予想される。
賦課方式を積立方式に変更するなど、抜本的な解決が無い限り、立ちいかなくなることは自明であるが、今の政治ないし政治家は何もしないし、何もできない。かえって国民が納めた年金を無駄遣いし、その年金管理に関しても杜撰を極め、誰も責任を取ろうとしない。これを閉塞感・無力感と言わないで何というのか!!!
② 税金の問題
国民1人1人に対する税金及び保険料は確実に上がってきている。これが
インフレで、同時に給料・年金が上がっていれば負担感は少ないのだが、安倍
首相がデフレ脱却と言っているように、中々旨くいかない。特に高齢者の場合は、
先行きの年金受給額の先細りや医療費の自己負担額の増大などを考えると、極め
て深刻な問題とっている。
にもかかわらず、政治が考えているのが、消費税の10%への増額、所得税の
改正、相続・贈与税の改定等、あの手この手を考え、その税金の取立には余念が
ない。
実際に経験したが、各種税金の納付については期限が1日でも過ぎると、次次
と支払いの督促状が来るのに対して、税金の還付金は優に3か月以上はかかる。
漏れ聞いた話では、国民健康保険料1か月1200円を、期日経過後すぐに市の職員
が取立のために訪問されたと聞いた時、訪問する交通費及び人件費が1200円の徴
収に見合うのか、市は考えたことがあるのか(全く考えていないだろう)問うて
みたい。
話は横道に逸れるが、最近、テレビを見ていると、京都の各寺院が、観光客
誘致のため、高給民泊を始めたり(通常は有税となるはずが、座禅や写経を教え
るということで御布施扱い)、ご本尊の前でライブを開催したり、髪の毛を延ばし
髭を蓄えた住職が、プロジェクションマッピングを駆使してお経を読んでいる姿
が放映された。
全国で寺の数は8万、神社の数は9万と言われている。これがすべて無税扱い
の優遇を受けているのだ。何でお寺、神社とも一族で世襲するのか多いのか?当
たり前。こんな無税の甘い汁は、絶対に見逃せないからに他ならない。
取れるところは、どんな小さなところでも徹底して搾取し、一方、大きく税金
を取れるのにそれを見逃している。
何ともやりきれない無力感が漂う。
③ 老後の不安と孤独感
高齢化社会の到来と叫ばれ、平均寿命が男で81歳。女で87歳と、世界でも
有数の国になった。さて、これが誇れることなのか疑問を覚える今日この頃で
ある。
この不安を覚える要因は、医療費負担と孤独化にあると考える。
医療費の負担は、老齢化するほど医者にかかる率が増えるとともに、使用する
薬が半端でなく(1回十数錠)絶対額としても増大するが、そこに初診の自己負
担も3割と増えた。年金は増えないどころか減る危険性を含んでいるだけに不安
の増大は計り知れない。
一方、核家族化がますます進展し、配偶者が亡くなっても一緒に住もうという
子供たちはいなくなり、1人住まいが圧倒的に多くなってきた。65歳以上の1人
暮らしは、1980年と2015年を比較すると、男が20万人から190万人に、また女
が70万人から400万人と、飛躍的に増えているそうだ。
これの1番の問題は、金銭的なこともあるが、精神的に「絶対的」孤独感を
持つ人が多くなっているということである。
なぜ絶対的かというと、文字通り1人である場合だけではなく、子供も孫も
いるが、殆ど行き来はないという老人が多くなっていることである。1日中、全く
しゃべらない人もいるとか。
この寂しさは「何のためにこの世に生を受けたのか」「何のために一生懸命
働いてきたのか」との思いに捕らわれ、無力感というよりも絶望感が去来すると
なると、日本の幸福度はかなり低いものにならざるを得ないだろう。
一方、これを解消するのが地域コミュニティーの活発化が挙げられるが、この
実態をみると、世話好き、話好きの1部の人たちの集まり、サロンと化しており、
くる、という始末である。
以上、様々な面から見てくると、日々の社会生活の中でも、色々な面から
閉塞感・無力感が漂い出ている。
5、大総括
世の中の事象に「無関心」になり始めた「自分」を発見し、その原因を探ってみよ
うと試みたのが、この論稿の始まりであった。
最初に、政治の世界を見て、「安倍1強」と言われる「功罪」を、国会の形骸化に観、次に、民主主義の根幹と言われる議院内閣制に疑念の芽を観、行政の実質的な担い手
と思われていた高級官僚の堕落を目の前にした。
一方、対立構造にある野党も「頼むに足らず」と判断し、「政党助成金」なる「税金
の無駄遣い」と断言し、それを廃止するように提言した。
が、今の政治家にそれを求めるのは「とても無理」と客観的に判断し、政治の世界
の閉塞感を感じると共に「無力感」に身が包まれた。
政治の世界に続き、経済の世界の様相も検証した。
往年の超一流企業の不祥事が表沙汰になり、名門企業の粉飾決算を見るにつけ、そ
も行き様がない閉塞感と、その反動としての「無関心」の原因を発見した。
さらに、経済の世界では、小生が往って所属していた「金融機関」にも目を向けた。
ここにも光を見いだせず、ふと、気づいたのは、政治の世界も、経済の世界も、その
世界を引っ張っている「リーダー」に本質的な問題があることに気づいた。
すなわち、いずれも戦後生まれの「戦争を知らない」世代で、高度成長期に幼少期
ないし青年期を迎えた「小粒化」した人材に根源的な問題がある、と喝破したのであ
る。
そして最後に、日常生活における不安要因を改めて指摘し、日本の現代のすべての
世界に「閉塞感」」が満ち満ちており、そこに「新しい光」や「輝かしい希望」が見い
だせないことを改めて実感した次第である。
在は、日本人の心の中の「闇」により、日本が精神的に消滅する危惧を懸念して、本
論稿の表題を「日本沈没」と名付けたものである。
もっとも、無責任なようで申し訳ないが、「日本沈没」と感じるのは、本人の「気持
ちの持ち様」次第かも知れない。
物事を前向きに捉えるか、小生のように後ろ向きに捉えるかであろうが、余りにも
後ろ向きに捉えざるを得ないことがすぎないだろうか、と敢えてまた申し上げる次第
である。
【了】