日本沈没ー日本の中における「閉塞感」「無力感」まとめ⑩

4、社会生活の世界における閉塞感・無力感
  本論稿が長くなり、筆者自身も「どの部分」を話しているのか混乱している。そこで、
全体の流れを、ここで通覧する。
 
  現在の日本における閉塞感・無力感を「日本沈没」と捉えて、まず、「政治」の世界を
俯瞰した。そこには、安倍1強の功罪が数々あり、それを許した野党政治家の資質、能
力を問い、政党なるものが必要なのか、政党に政党助成金たる税金を注ぎ込む必要が
あるのか、を見直してみた。
  そこから漂う閉塞感・無力感を経済界に目を向けてみた。「モノ」の動きが携帯や
 ネットで大きく変わり、経済構造を大きく変容させた。そこで、昔の超一流企業、特に
製造業での立て続けの不祥事を概観し、その要因を指摘するとともに、金融業界でも情
けない体たらくな様相を見せているのを紹介した。そして結局、その要因を突き詰めて
みれば、製造メーカーも金融各社もその経営陣の「小粒化」に起因し、その「小粒化」
は、戦後の団塊の世代が経営陣を構成することから始まった、と分析したのであった。
 → 団塊の世代は「戦争」を知らず、戦前の良き伝統、考え方を、戦後の徹底した民
主主義教育のおかげで全く引き継ぐことが無かった。それに加えて、多くの同世
代との競争に勝ち抜く必要があった。そこで練られたのは、勝ち抜く技術(テク
ニック)であり、考え方は置き去りにされた。他よりも1点でも多く獲りたいと
願うのみで、何故、1点多く獲る必要があるのかを考えなかったのである。
   このような中で育った経営者の仕振りは自ずと想像がつく。まさしく今の各企業
の動きがその証左であろう。
 
次に、我々の普段の社会生活の中における閉塞感・無力感」を見てみようと思う。
 
 (1)超情報化社会の閉塞感・無力感
ご案内のとおり、ネットを中心とした情報化の波は、携帯電話の驚異的な普及と
そのハードの高機能化に伴って、想像を絶するほど大量に押し寄せている。従来の
「物事を調べる」手間が、図書館から指先1つの検索によって達成され、「ある
ものを探す」手間が、あちこちに電話、ファックスで問い合わせていたのが、これ
も指1つで本人が希望する最適の「もの」が探し出せる時代になった。
 
    この「便利さ」は捨てがたいものではあるが、従来は時間がかかっても、1つの情
   報を得るとその情報を元に考え、更に次の情報を探すという「情報相互のコミュニ
ケーション」があったが、今はありとあらゆる情報が1度に押し寄せ、それを選別
する時間がないか、あるいは選別を放棄してしまっている。
これが本当に人間にとって良いことなのか、あるいは幸せなのか、と疑念を持た
ざるを得ないのである。
 
    さらに問題は、ゲームの異常な拡がりである。未だに日曜日のわが家の前の公園
で大人たちが多数集まりポケモンを楽しんでいる。自転車を走行させながら、片手
スマホを覗き込んでいる若者も多い。決して緊急連絡であるはずがなく、きっと
ゲームを止められなくなっているのであろう。この「ながらスマホ」で事故が起こ
っていることを十分に知りながら、未だに止めないのである。
世界保健機構(WHO)は「ゲーム病」という病気を設定した。新たな技術の
発達に人間が侵されている1つの「証」なのだろう。
 

 (2)アマスポーツにおける閉塞感・無力感

    レスリング協会を皮切りに、日大フットボール部の傷害問題、最近はアマボクシ
ング協会と、アマスポーツ界は朝のテレビ番組に格好の材料を提供している。余り
にも長時間報道されていたので詳細は省略するし、これに対するコメントも呆れか
えって語る気にもならない。
おそらく、これらは氷山の一角でしかないと思われるが、アマスポーツ界におい
ても、政治の世界、経済の世界と同様に、権力を持ってしまうとその本分を忘れ、
権力そのものに酔ってしまい、いつの間にかそこが身内の優遇や私腹を肥やす温床
と化してしまうようだ。無邪気にスポーツを楽しんでいる国民をこれほど虚仮にし
ていることはないだろう。
 
    それでも国民はアマスポーツを観てしまうだろうから、文部科学省は、 汚職
始まり文書データの改ざんばかりに腐心するのではなく、また、スポーツ庁も鈴木
長官のように「甘い感想」ばかりを言っていないで、ここにこそ積極的に介入して、
中味の腐敗を一掃することが必要で、国会議員としての責務を果たして欲しいが---
無理だろうな!!!(これを無力感というのだろう)