安倍首相と災害
阪神淡路地震に続いて、東日本大地震以降、各地に地震災害が頻発し、最近では台風21号の大阪大災害、その翌日には北海道で震度7の地震が発生し、北海道各地に停電、断水が長期間発生し、多くの死傷者を出した。何か、日本が呪われているのではないか、というくらい自然災害は猛威を振るっている。
その時、この自然災害の頻発は、日本の為政者、すなわち安倍首相に問題があり、「天」が国民に変わって、罰しているのかもしれないと、「ふと」感じてしまった。
そこで、文献を調べてみると、「なるほど」という資料を見つけた。それが、以下で紹介する「災害と日本人の精神性」神戸学院大学教授 前林清和氏である。
異論も諸所散見されるが、それよりも「なるほど」という部分もあり、是非皆さんに紹介しようと試みた。
特に、日本人の精神性の基底に「武士道精神」があり、その説く忠義、勇敢、犠牲、信義等々の中に「廉恥(れんち)」があり、心が清らかで恥を知る心が伝統的に日本人の精神性の基底にある、と書かれている部分に、目を覚まされた感じがある。
「モリカケ」問題に始まり、金融政策の失敗、対中、対韓、対米(トランプに馬鹿にされている)。つい最近では対ソ問題(北方領土にほっかむりした平和条約締結提案)等のが外交の失敗、それでいて戦後最長の首相在任期間を目指す、権力に綿々としてすがる安倍首相の姿を見ると、この「廉恥」という言葉を教えてあげたい、と痛切に感じたものである。これは安倍首相に限らず、経済界においても、スポーツ界においても、権力に綿々とすがるつく姿は枚挙に暇がない。
この論文を読んで、国民全員が「もう1度」「日本人」を考え直してみる機会にしてもらえれば幸甚である。
1、我が国の自然観は、「自然」「神」「人間」の関係が、隔絶したものではなく不可分なものとして捉えられてきた。このような自然観に立ちながら、理不尽にも降りかかる災害を、天運あるいは天譴(てんけん)として納得しようとしてきた。
2、一方、日本人の人生観の中核をなすのが無常観である。仏教の影響もあるが、常に災害に見舞われてきた中で、自然の変化や脅威に対して順応して逆らわず生きて行こうという意識が養われ、この意識が無常感と繋がって、日本人独特の「諦め」や「はかなさ」が生まれた。
3、また、災害において「列を作って待つ行動」や「略奪の無い町の様子」に世界から称賛が寄せられたが、この日本人の社会的倫理観の高さは、理不尽な「死」の多くが、戦争ではなく自然災害であったことに起因する。加えて、この倫理観は、武士道を中心とした廉恥(心が清らかで恥を知る心が強いこと)や名誉の観念が、その思想的根拠になっている。
(各論)
1、日本と災害
(1)はじめに
性」で世界4位、上位15か国中、日本とオランダを除くすべては開発途
上国。さらに、自然災害のリスクの高さも世界で17位と上位。
日本の国土は世界の陸地の3%であるが、マグニチュード6以上の地
震発生率は世界の約20%。
に起こっており、むしろ阪神・淡路大震災が起きるまでの40年が、
大きな地震が起こらない珍しい期間だったのである。
この期間は、奇跡的な経済成長を成し遂げた時代であり、またこの時
てしまった時期と言える。
(3)台風
日本は台風の「通り道」と言われるほど、毎年、台風の被害に見舞わ
れる。年間平均25.6個が発生し、そのうち11.4個が日本に接
近し、2.7個が上陸している。
(4)水害
日本は年間平均1,718mmの降水量があり、それも梅雨や台風の時期に
集中している。さらに、日本列島は標高2000mから3000mの脊梁山脈
が縦貫しており、河川が急こう配で距離が短く流域面積も少ないめ、
短時間で増水し洪水の危険性が極めて高い。
(5)土砂災害
日本は平均して1年間に約1000件もの土砂災害が発生している。この土
砂災害の発生の恐れがある危険な個所は、日本全国で53万か所もる。
(6)火山災害
この狭い国土で活火山が110もある。世界に約1500の活火山があると
言われているので、そのうち7%以上が日本にあることになる。被害
灰・火山ガスなどである。
2、日本人と自然観
・西洋的自然感
中核をなすのは中世におけるキリスト的自然観である。
対の存在となり、その自然観は、「絶対的な存在としての神」そ
の下の「自然を支配する人間」そして最も下位に「自然」という
構造となる。したがって、自然は人間が利用するために創られ
た、とする。
ところが、デカルトの登場で、自然と人間は別のもので、人間と
自然は対立するとする「物心二元論」が唱えられ、機械論的自然
観が生まれた。この自然観が近代自然科学の発展に寄与し、科学
や技術が飛躍的に発展と産業化を生んだ、といえる。
しかしながら、この自然観は、観点を変えると、人間が自然と対
峙し、自然を支配・管理し、自然を破壊しながら利用するという
人間にとっての利益誘導型の自然観と捉えることができる。
ゆえにこの自然観は、現代では、豊かさや便利さを齎した反面、
地球環境問題や生命倫理問題を生じさせている。
・東洋的自然観
この自然観は、アニミズム的宗教感、自然観である。すなわち、
この世はありとあらゆるものに神や精霊が宿る、というもので、
特に日本では、「八百万の神」というように世界に無数の神が存
在するとする典型的な多神教でである。その結果、「神は人間以
上の力を持つが、人を威圧し支配することはない。なぜなら神も
人間も平等な価値を持つ霊魂だからである」とし、神と共に生き
てきた、といえる。
(2)災害感
昔から日本人は、災害を人間ではどうしようもない自然のなせる災
いとして捉えてきた。大自然の脅威は不可抗力の存在なのである。
しかし人間には、理不尽な出来事を納得するための理由が必要で、
その理由として「天運論」と「天譴論」がある。
① 天運論
理不尽な出来事を「偶然」という言葉だけでは納得がいかず、「必
然」とするために「天運」があり「運命」があるのである。すなわ
ち、「私が被害を受けて彼が被害を受けていない」「彼が死んで私
が生きている」というのは、運命であり、人間がどうすることもで
きない天命によってあらかじめ決められてことなのだ、というので
ある。
② 天譴論
これは「天が人間を罰するために災害を起こす」という思想であ
り、「災害を王道に背いた為政者に対する天の警告」と見做す思想
をいう。
すなわち、天災は神が私たちを戒めるために起こすという観念に
よって、自らに降り注いだ災いを理由づけし納得してきた、ベース
にある思想である。
そして、この天罰という考え方は、欧米にも昔からあるが、それは
一神教におけるもので、神との契約を破ったための天罰であり、厳
しいものと捉えられたが、日本の場合は、「荒ぶる神」を鎮めるこ
とで収まるものであり、その怒りに根深さはない。
3、日本人と人生観・社会的倫理観
(1)人生観
日本人は、自分自身に災害が降り注ぐのは「運命」であり、罰が当
たったということで「納得」した経緯があるが、その「諦め」や
「はかなさ」の奥には「無常観」がると言われている。
もともと「無常観」とは、仏教用語で、「この世界のすべてのもの
は生滅変化して留まることがない」という意味である。したがって
物や出来事に固執しても仕方がない、意味がないということにな
る。
元の水に非ず、淀みに浮かぶうたかたは、--------」と表し、人生の無
常を説いている。
これをヨーロッパと比較してみると、ヨーロッパの自然は安定し、
大きな地震も台風もない。したがって、人間が作り上げてきたもの
がそのまま存続しやすい環境にあるといえる。
一方日本はその逆で、地震や台風により人間が営々として積み上げ
てきたすべての物を一瞬にして「無」にしてしまう、まさに「無
常」なのである。
すなわち、自然は刻々と変化し、その変化によってある時は恵み
を、ある時は災いがもたらされる。恵みは有難くいただき、災いは
逆らわずにじっと耐える、ということ、自然に順応し、逆らわず生
きて行こうということである。
このような我が国の人生観は、人間も自然の1部であるという、神道
的な世界観や仏教における無常、更には頻繁に起こる天災への順応
的な態度と相まって、「無常観」というものを、その基底に形成さ
れている、といえるのである。
(2)社会的倫理観
日本人の災害時における秩序だった行動は、世界から称賛され有名
である。そしてこの行動ができる理由は、日本人の社会的倫理観に
ある。