安倍首相と災害続き

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(2)社会的倫理観    
  日本人の災害時における秩序だった行動は、世界から称賛され有名である。そしてこの行動ができる理由は、日本人の社会的倫理観にある。 
  すなわち、日本人は、無常観に基づく人生観があるがゆえに、甘んじて死を受け入れる、仕方がなかったこととして諦める死生観を持っている。そのため災害時の「死」に対する恨みや理不尽さを「他」にぶつけようとしない。むしろ「荒ぶる神」を鎮め、「ぶつける」エネルギーを制御するのである。    
  その理由は、理不尽な「死」の代表的なものには災害と戦争がある。災害による死は、恨む相手がいないから受け入れるしかない。一方、戦争による死は、死んだ者も残った者も、相手を恨み、復讐するのであるが、日本の場合、戦争による死より災害による死が圧倒的に多いこともあるが、たとえ、戦争であっても島国の中での戦争であり、大量虐殺や皆殺しは,海外と違って極端に少ない。それは、政治的理由の戦争であって民族間の争いや宗教戦争ではないからである。    
  もう1つの理由は、日本人の精神性を代表する「武士道」である。これが、極限状態に置かれたときの、人間の行動を律する行動規範として機能してきたのである。    
  そもそも我が国は、鎌倉幕府以来、江戸幕府が終焉するまで700年近く、事実上武士による政権が続き、武士は単に武人としてだけではなく、為政者として、行政官として、時には文化人として機能した。そしてその過程で、高い教養を身に着け、世の中の範となる人格を目指して自己陶冶(じことうや)の道を歩み、自己の内面の向上にとどまらず、社会や他者のために生きるという精神性にまで昇華したのである。    その後の明治政府により、武士階級は消滅したが、国民全体が学校教育を通じて、儒教的、時には武士道的色合いの強い教育を受け、武士道は現代においても日本人の思想的底流をなしていると考えられる。


  そもそも武士道では、忠義、勇敢、犠牲、信義、礼節、質素、情愛などを説くが、その1つに「廉恥」がある。この廉恥とは、心が清らかで恥を知る心を意味し、我が国では、伝統的に恥を知ることが重要とされてきた。そこには、自分だけではなく相手の廉恥を慮り、お互いの名誉を尊重することを重要視したのである。    
  そして、恥には、見られて恥ずかしいという「公恥」と、自分自身の内面に問いかけて恥ずかしいという「私恥」があり、日本人は、この自己陶冶としての「私恥」を重んじた生き方を求めたのである。


 4、まとめ  
  以上のような、日本人の自然観、災害感、人生観、社会的倫理観は、個人的な視点から異論もあり、また、歴史的・伝統的な視点から述べたもので、現代人にすべて当てはまるものではない。


  しかし、日本人の全体の傾向として、確実に、私たちの精神性の一側面であるし、それに基づいた社会が、今も無意識的にではあるが、築かれていることに疑いはないのである。