ちょっと待った!再発防止策再考を!-スルガ銀行大研究(3)追加

さて問題の再発防止策の1つ「行員の処分」について、小生は、前回で「してはいけ
ない」と警告した。

理由は、まず、処分を受ける行員の問題である。
不正に関与した行員、認識はしていたが何も言わなかった、あるいは見て見ぬふりをした行員、全く知らなかった行員(これはありえない。普通の銀行員ならば絶対に気付く筈)がいるが、誰を処分の対象にするのか? その線引きが非常に難しい。
例えば、不正に関与した行員にのみ処分するのか? しかし、その場合、実はその行員は、トップの創業者一族、それに阿る経営陣から強く言われたから「やむを得ず」不正に手を染めたかも知れない。少なくとも自分自身で考えて改ざんに関与したわけはないからである。その見極めはどうするのか。外部の弁護士ではこの微妙な判断ができない。行員が全く加わらず、弁護士のみに任せるのは極めて危険である。
弁護士による処分の前提は、行員からのヒアリングであろうが、従来の権力者にすり寄っていた行員に対して、冷や飯を喰わされていた行員の「仕返し的タレこみ」が横行し、収拾がつかない状態になるのは容易に想像がつく。

  もう1つ最大の問題は、処分を下す経営陣の問題の問題である。
まず、現在の経営陣は、第三者委員会の調査報告書で、もう「免罪符」を得たと思っているのだろうか? 特に現社長の有国氏は、前にも言ったが、人部部長として「何もしなかった」「見て見ぬふりをしていた」人であり、小生から言わせれば「最も悪質な人物」だといえる。その人物が行員を罰する資格があるのか!
  その他の役員にしても、社外取締役監査役も含めて、調査報告書でも明らかなとお
り、「知らなかった」「聞いていない」としらを切り通した「悪人」である。
一方、行員個々人は、第三者委員会の調査に対するヒアリングでも、正直に「認識し
ていた」と言っている正直者が多い。当たり前で、銀行に数年勤務していれば、直接自らの仕事に拘わらなくとも、「何かおかしい」と感じるのが普通である。そしてそれを発言した行員を処分にすることは、正直者が馬鹿をみる典型である。
それでもこの処分を強行すれば、少なくとも数年以上の経験のあるスルガ銀行行員誰もが、「やってられない」と、現経営陣を信用しなくなり、誰もついて行かなくなるのは明らかである。(面従腹背の行員はいるかもしれないが)
これでは、どのような組織、体制を作ろうが、全く機能せず、意味をなさない恐れが十分にある。まさしく崩壊である。
 
今、満州事変を惹き起こし、第二次世界大戦へ日本を引きずり込んだ張本人と言われている「関東軍」の80年史を読んでいる。そこにノモンハン事件の顛末についての記事があった。日本兵はほとんど全滅の被害を蒙ったが(死者3万人以上-日清戦争203高地の死者よりも多い)、その後処理が問題であった。この事件を引き込んだ高級参謀及びトップの者たちは、一時、その職を干されるものの、すぐに元の職場以上の地位に復帰して、また第二次世界大戦時の指揮を執っている。一方、現場の部隊長は、当然戦死者が多いが、生き残った者は、命令を無視して撤退した(良く奮戦した後の撤退である)ことで、自決を強いられ亡くなっている。何とも「身につまされる話」で、このような関東軍の体質を、スルガ銀行は決して引きずってはならない。
 
  最後に「行員の処分」には直接関係がないが、もう1つ、スルガ銀行の問題は、「第三者に頼りすぎている」ことである。すなわち、今回のスルガ銀行の経営刷新案では、経営の中枢まで第三者という部外者が占めることになっている。
  確かに、これほど永年、創業者のワンマン経営に晒され、出世するにも、高い給料を貰うのも、創業者のワンマン経営者とその取巻きに阿る(おもねる)しか生きて行けなかった企業風土を、根本的に変えていくのには、生え抜きだけでは相当な無理があることは事実である。
  しかしながら、一方、事情を全く知らない、あるいは知識としては知っていても全く実体感がない第三者や弁護士に、全てを委ねることも間違っている。
この頃の流行で、「部外の第三者の公平な目で」とか何か事あるごとに弁護士で構成された「第三者委員会」なるものを立ち上げれば、それで「公正・公平」が担保された、という風潮があるが、実態を実感していない第三者の判断ほど怖いものはない
それは、社会生活の成り立ちは、大なり小なり「人間の情」が絡まって成立している。第三者はその辺の機微を知らないから、「人間の情」を捨象して判断する。それが「公平・公正」だと思っている。しかし、それは中味のない綺麗な「箱」を作ったに過ぎない。つまり、表面上公平・公正に見えても、実体的に不公平になるケースが圧倒的に多いのである。行員の処分に関しては、特にその傾向が顕著に表れる。
 
  有圀社長は、またも罪を犯すことになるのを懸念する。