老後とは? (終活を考える)


  ブログ再開が遅れた第2の理由は、あちこちに体の劣化が現れたことです。
  69歳になる小生ですが、現役の時は人1倍身体に自信があったものです。ところが、去年の3月と12月、眩暈、立ち眩みで2回救急車にお世話になりました。MRをはじめ様々な検査を行いましたが、結局、原因は分からずじまい。
  しかし、全く関係のない、頸動脈溜が発見され、脳梗塞の可能性があるとしてアスピリンの服用を開始、前立腺がんの疑いがあるとして検査入院、さらには血糖値が高く糖尿病の可能性があるとして血糖値を下げる薬を服用、と,  いきなり「年寄りの病院通い」をするハメになったのです。

  これほど急激に一挙に噴き出してきて、さすがの小生も参ってしまい、何をするにも気力を失ってしまい、結果としてブログも長期の休刊となったのです。

  この期間、毎日、適度の散歩と食事の改善、酒類、たばこの禁止を励行したわけですが、ある日、「自分は毎日何のために生きているのか?」「自分は誰のためにいきているのか?」「このまま人生が終わって悔いがないのか?」を問い始めたのです。「死ぬまで現役」を標榜していた小生としては、精神面でも「苛立ち」を見せ始めたのです。

  そこで、このブログを、小生の精神改善に向けたブログ再開と位置付けたのです。具体的には、人間の美しさ、謙虚さに目を向けると同時に、それと常に同居する醜さ、狡さなどを、正面から取り上げ、小生の思いのたけを綴ることにしたのです。
  思い込み、自分勝手、言葉の品のなさ等々、いろいろあると思いますが、そこは小生の精神面での未熟さに由来するとお考えいただき、ご容赦いただきたいと考えております。

  そこで次回は、その手始めに、歴史上の人物の死に際の感覚を、辞世の句から読み解いてみたいと考えております。ご期待ください。