辞世の句


  まず1人目は山上憶良(享年73歳)です。
  「士(をのこ)やも 空しかるべき万代(よろずよ)に 語り継ぐべき 名を立てずして」
    -男子たるもの、後の世にまで語り継ぐことになる功名を立てずに、むなしく一生を終えてはいけないー
  奈良時代の有名な歌人であるが、奈良時代の初期で、なんと73歳まで存命だったのには驚きです。そのせいか、堂々たる辞世の句で、小生は穴があったら入りたいくらいです。事実、彼は従5位下・筑前守に上り、聖武天皇の侍講にまでなっている人物なのです。
  「貧窮問答歌」に代表されるように、社会的弱者を鋭く観察し、その歌が多いうえ、社会派の人物かと思っていたが、結構、官僚として成功した人物であることが初めて分かった。社会的な優しい眼もおのずと限界があったのかもしれない。


  2人目は、平安期の歌人である在平業平(享年55歳)である。
  「ついに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを」
    -いづれ死ぬとはわかっていたが、それが昨日や今日だとは思わなかったー
  この「色男」の代名詞たる人物も、血筋は極めて高貴であり、平城天皇の孫、桓武天皇の曾孫、母方を辿れば桓武天皇の孫にあたるのです。当然のごとく官位も高く、蔵人頭従四位上右近衛中将兼美濃権守にまでなった人物ですが、この辞世の句が、なんとなく人間らしく、官僚でも平民でも、死ぬときはこんな感慨になるのかな、と小生も極めて自然に納得した句であります。
  

  次は「人生のはかなさ」を辞世の句にした3人。
  1人は戦国武将の上杉謙信(享年48歳)「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」 次にかの有名な豊臣秀吉(享年62歳)「露と落ち 露と消え西にし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」 そして3人目は江戸時代の儒学者博物学者でもある貝原益軒(享年84歳)「越し方は 一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢を見しかな」の3句です。
  この人生のはかなさを辞世にした有名人は極めて多くいますが、48歳で志半ばで逝った上杉謙信、功なり名を遂げたものの老醜をさらけ出し、1代で豊臣家を滅亡させた豊臣秀吉、山あり谷ありの人生を味わい尽くし、当時としてはまれにみる長寿であった貝原益軒、それぞれの人生が異なるものの、全く同様な辞世の句を作っているのは、極めて興味深く、実はこの感触が、真の正解に近いのかもしれません。
  ただ、その「はかない」人生を、どう過ごせばいいのか、どのように過ごしても同じ感覚を味わうのか、その回答はこの中ではわかりません。


  この中で、この回答となるのかもしれない、明治時代の思想家である中江兆民(享年54歳)の辞世を紹介しよう。
  「1年半 短いといわんとせば 十年も短なり 百年も短なり」
    -1年半も、十年も、百年も、限りある命であることに変わりはない。与えられた命を精一杯生きるしかないー
  そうか! その日その日を精一杯生きることが、回答なんだ、と小生は奇妙に納得したものです。


  最後に、無名ではあるが、江戸時代の京都町奉行所与力で、随筆家でもあった神沢杜口(とこう)(享年85歳)の辞世を紹介しよう。
  「辞世とは 即迷い 唯死なん」
    -辞世などというものは、その場における迷いに過ぎず、死が来れば、それに従うだけのことではないかー

  さて、皆さんはどのようにこれらの辞世の句をとらえるのでしょうか?

  そこで、次回以降は、「生、老、死」についての我々の体内にしみこんでいる宗教的感覚を論じていこうと考えています。