権力の魔物ー忖度の正体

1、日産自動車のゴーン元CEOが世間を騒がしている。権力に取りつかれた者の末路
 いう言い方もあれば、日産自動車の持っている権力闘争の土壌が問題だと指摘する
 評論家も存在する。
 
2、しかし、この問題を分析すればするほど、日本のどの世界にも転がっている話で、
 それほど珍しくなく、如何にも、日産特有の問題として賢しらに分析している経済
 ジャーナリストたちを笑ってしまう。
 
3、その本質は、流行語大賞をも頂いている「忖度」がキーワードである。すなわち、
 権力の魔物を生むのは「忖度」から始まるのである。政治の世界しかり、スポーツ界
 の世界しかり、ひいては社会福祉団体にするこの言葉が妥当する。
 
4、実例を挙げよう。
安倍1強体制がしかり。
      対抗馬を全く持たない野党を尻目に、安倍首相に人事を握られれている高級
    官僚小選挙区制の公認権を握られている議員連交付金の多寡を握られて
    いる地方自治等、「忖度」の嵐である。
相撲協会レスリング協会、ボクシング協会、体操協会等々しかり。
   集金マシーン化している協会組織の頂点に立つことの”旨味”を知っている
  からか、アスリート出身の幹部職員の上昇志向が忖度の嵐を呼ぶ。
社会福祉団体においてもしかり。
  補助金に対する“旨味”があるからか、理事長に対する幹部職員のあこがれは
  異常といえ、そこに忖度の嵐が吹き荒れる。
  そのために実際に福祉に携わる従業員が置き去りにされ、悲劇を生む土台に
  なっている。
・ 経済界もしかり。
  忖度は空気のように当然となっている。
  終身雇用制、年功序列制の中での保身と上昇志向は、従来それなりに存在
  した。
  しかし、それらの制度が崩れかけ、「能力主義」と言われる何かよく分から
  ない制度が幅を利かせてくるにしたがって、保身と上昇志向はが一層顕在化
  し、「忖度」を当然のように見なす土壌が明確に存在するようになった。日産
  ゴーン事件が特殊でも何でもないのである。
 
5、では、“空気のように当然存在する”その「忖度の正体」は何か? その本質を
 探ってみよう。
まず、大辞林では、「忖度とは、他人の心情を推しゃかいし量ること、また推し 量って相手に配慮すること」とある。この言葉は、すでに中国の古典『詩経に使用されているみたいで、日本でも平安時代さらには明治期以降にもその使用例がみられるらしい。
しかし、この頃までは、単に人の心を推測するという程度の意味しかなく、相手に を配って何か行動するという意味合いはなかったのである。
実際に「忖度」という言葉の中にその意味合いを含めて使ったのが、モリ・カケ問題からと言われ、つい最近のことであるようだ。20173月の森友学園籠池理事長の国会での証人喚問の後の外国特派員協会での同氏の記者会見「口利きはしていない。忖度をしたということでしょう」「今度は逆の忖度をしているということっでしょう」がその唱矢でされる。
ところがその言葉の広がりが、身の回りを観るに、そこここに存在することから、現代風の意味の忖度という言葉が定着したものと考える。
 
6、この「忖度の本質」について、最も的確に分析しているのが検察官出身の郷原弁護士ある。
同氏は、ご案内の通り、理系出身で法学部も出ていないで司法試験を突破し、長年
 検察官を務めていたという、最も官僚的な組織にいた人でありながら、冷静に物事を
 判断する力の評論家で、小生が最も信頼を置いている人物である。
 
同氏によると、「忖度」の特徴は4つあるという。
① 「忖度」は、される方(上位者)にはわからない。
 忖度は、他人に分からないように行うところに本質があり、少なくとも、される
には分からないし、分かるようなものは忖度とは言わない、という。
 なるほど、納得!
② 「忖度」は、行う本人も意識していない場合が多い。
 終身雇用制、年功序列制のプラミッド型組織の中では、生き残り、昇進していく
に、忖度は弁えておかなければならない「習性」のようなもので、有能であれば
あるほど、意識しないで、自然に上位者の意向を忖度するのだそうだ。まさに
「呼吸」するような自然さで忖度するもの、とする。
③ 「忖度」は違法・不当な行為は行われない。
 なぜなら、忖度は、する方の裁量の範囲内で、上位者の意向に最も沿う対応
するもので、上位者の指示・命令を仰ぐことなく行うので、違法・不当のリスクは
すべて下位者が負うことから、違法・不当な行為はしないのは当然とする。
 目から鱗」の思い!
④ 有能者、有為者は、「忖度」で評価される。
 すなわち、上位者から有能と評価されるのは、指示を確認したり判断を仰いだり
ずに、その意向を忖度して動ける人間のことをいい、上位者の手を煩わせずに
実行してくれる好都合者として可愛がられることになる。さらに上位者にとって
は、実際に問題に関わっていないので、リスクを最小化できるというメリット
持っているだけに、余計に可愛がられる,というわけである。
 
7、 そして最後に同氏は,“忖度があったか、なかったか”の解明は無理」と結論付ける。
なぜなら、「忖度というのは、組織内に磁場のように存在し、物事を一定の方向に
向かわせていく力があり、しかもそれが特別なことではなく、しかも違法・不当な
ものではなく、裁量の範囲内でやっているだけのことであるから、空気のようなもの
だからである」とする。
 同氏は、むしろその磁場(空気のような忖度)の存在の背景となっている権力
構造のものを問題とすることだ、と断言する。
 具体的にいうと、安倍政権の現代を例にとり、官僚の世界が、終身雇用制、年功
序列制が維持されるピラミッド型組織で、内閣人事局に各省庁の幹部人事権が握ら
れ、それを動かす政治の世界が、国会は与党が圧倒的多数、その与党の党内も、
小選挙区制のために、公認候補の決定権を持つ党幹部に権力が集中しているという
状況は、まさに、も「忖度」が働きやすい構図であることに間違いはなく、それ
ぞれの構造を変革するしかない、と結論づけている。
 
8、思うに、この権力構造の改革は到底無理と考える。
それは、人が生活の糧を稼ぐため、何らか職に就く必要がある限り、それが官僚で
ろうと、サラリーマンであろうと、福祉関係で奉仕しようと、あるいはアス
リートが引退後協会に勤めるようになる限り「空気のような存在の忖度」は、空気が
なければ人間が生きられない、と同じように、存在し続けることになるからである。
 
個々人が、忖度までして生きていくのかどうかの「覚悟」次第といえるのだろう。