日本人の宗教観・死生観その1

ー日本人の愛する神道・仏教の本質ー

1、はじめに 
 我々日本人は、どのような社会的立場にあろうが、どのようなイデオロギー
に立とうが、正月には神社に初詣に出かけ、この1年の安寧と家族の健康を願い「神さま」にお願いするのが一般的である。また3月・9月の彼岸の日及び8月のお盆の日には、父母や先祖の墓参りをし、檀家寺の住職に挨拶をしお経をいただく。その他の月も、結婚式やら葬儀等で神社やお寺に出かけることが多い。
 このように、日本人おのおのが、神道・仏教を信じる・信じていないにかかわらず、何故か神社仏閣とは頻繁なお付き合いがある、のが一般的である。

 実際に、仏教が実感として感じられるのは葬儀の時が典型であろう。かくいう小生も母親の葬儀の時に初めて我が家の宗旨(融通念仏宗)を知り、その宗旨に従う葬儀を執り行い、宗旨に則る戒名をもらい、宗旨に従ったお墓を建てた。
 しかるに、その一連の出来事で、本当に自らの家の宗旨、ひいては仏教という教えが分かったのか、理解したのか、と問われると「否」と答えざるを得ない(我が宗旨の開祖の名をその時初めて知ったのだから何をか況やである)。
 しかし不思議なことに、理解していないからと言って、このお袋の葬儀に違和感を感じることは何1つなく、読経が響く中、母親の遺影に向かって、「安らかに」と一心に祈っていたのである。 これが「日本人は宗教に無関心」あるいは「日本人の無宗教」と言われる所以か、とも考えたが、それにしては、仏教(ひいては神道)も、極めて身近であり、日本人の身体の1部になっているように見えることから、宗教を一切信じないという「無宗教」ではないし、初詣や葬儀に見るように「無関心」でもないことは間違いない。


そこで、日本人の無意識に身体の1部になっている(あるいはそう見える)「神道・仏教の中身は一体何なのか」を探り、この日本人の宗教観、すなわち「無関心でもないし無宗教でもない」もの(それこそが日本独自の宗教観)を見つけてみたいと考えた。
 そして、その上で、宗教の核心部分である日本人の「死生観」をも垣間見ることができるかもしれない、と考えてみた。
 古希を迎える晩年に、心得ておくべきことが見つかれば幸いである。
 
 以下のような順で考えていくこととする、
 ● まず、元々の(色々の他の宗教が入り混じる前)神・仏の教えとは一体どんなものだったのか、学び、
 ● 次に、日本の民族宗教ともいえる神道を採り上げ、これまで、その中身がどのように変容していったかを探り、次いで、その神道が最も大きく影響を受けた仏教について、現在までの変遷を総覧し、
 ● その上で、現在の神道・仏教の現状と課題を、私見も交え、論じることとする。
 ● 最後に、その現状を踏まえ、日本人の心の中にある「死生観」をも言及してみたい。

 

2、原始神道原始仏教の教え(元々の神道・仏教の教え)とは

(1) 元々の神道とは
   ・日本における「神道」という語の初見は、日本書紀用明天皇の条に「天皇信仏法、尊神道」(天皇は仏法を信じ、神道を尊ぶ)とあり、次いで同
孝徳天皇の条に「尊仏教、軽神道」(仏教を尊び、神道を軽んじる)とあるのが最初である。
   聖徳太子が活躍する飛鳥時代、すなわち仏教伝来から数十年経過し貴族
たちに仏教が定着した段階で初めて「神道」という言葉が現れたことになる。
 このことから、「神道」という語は、大陸から伝来してきた仏教に対して、日本にそれまでに独自に発展してきた信仰、またその神の力というものを総称して「神道」と称して区別したようである。

・これ以降も「神道」は、常に仏教をはじめ儒教道教等他の宗教から影響を受け続けて現在の神道に至っているため、元々の神道(これを原始神道古神道、古代神道ともいう)の姿ははっきりしないのが現状である。

・ところが、江戸時代、国学を大成した本居宣長平田篤胤が、「仏教伝来以前から日本人が信仰していた神道」として「本来の神道とは何か」を追求したのできっかけで古神道が研究され、この影響を受け、明治時代に入り、西洋諸国との関係必要性(キリスト教という一神教)から、国家主導で神道の確立が急がれた。その結果が、延喜式などを中心に体系化された国家神道の成立をみることになる。

・この定義づけが難しい理由は、
① 神道が特定の教学的伝統を中心としたものではなく、原始共同社会のおける全生活の中心的行事としての祭りの場より発生したもの。

② 広範なな精神現象、社会現象にかかわり、それは信仰、宗教の範囲のみでとらえられられず、また国民の道徳・倫理の範囲のみでも取られられない点
   にあるといえる。
 
 ・それでも敢えて定義づけをするとすれば、
   「神道とは、「日本民族の祖先の遺風に従って、カミを斎き祀る国民信仰であり、またそれを基礎として展開させる文化現象のことを含めて言う」となるのであろう。

 以上が、神道の歴史から「元々の神道とは何ぞや」を探ってきたが、結果として「元々の神道」とは「宗教」ではなく「文化」そのものをいうことになるようだ。

・しかし現在の神道は、この国家神道とは全くこれと異なるもので、江戸時代以前の「曖昧模糊」とした宗教に戻っているのが現状である。
 結果として、この「神道」という言葉非常に広範に使用されることになり、余計に一面的な定義付けが容易ではなくなったのである。