日本沈没ー日本の中における「閉塞感」「無力感」まちめ⑧
③ 金融機関の合従連衡の歴史とその意義
1975年
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1990~2000年
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現在
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第一勧業※1
富士
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1971年 第1と日本勧業
→日本最初の大型合併
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みずほ(2002・4)
+日本興業
(なお、長期銀行のうち、日本長期→新生
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三井
太陽神戸※2
住友
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太陽神戸三井→さくら
1973年 神戸と太陽
→2番目の大型合併
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三井住友(2001・4)
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埼玉
協和
大和
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協和埼玉→あさひ
(1991年)
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りそな(2003・3)
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東京
三菱
三和
東海
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東京三菱
(1996年)
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北海道拓殖
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破綻(1997)
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都市銀行の数の変遷を年代別に見ると、
1973年13行 → 1990年12行 → 1991年11行 → 1996年10行
1998年 9行
→ 2001年 8行 → 2002年 6行 → 2006年 4行
→現在に至る。
は旧第一勧業銀行だけの合併に留まっていた。それが1990年代に入り一気に
高度成長期から安定成長期を経て、日本経済も順調に推移していたが、第一
年」と言われる時期に差し掛かったのが、丁度1990年ころからである。
銀行収益の悪化と共に、このころの銀行経営陣が、「船に乗り遅れるな!」と
ばかりに、「我も我も」と合併競争の渦の中に身を投げ入れたのである。
本当に合併にその「必然性」があったのか? 合併に走らなければ、当該
銀行は消滅したのか、本当いその検証は慎重にやったのか、渦中に居た1人の
元銀行員として、未だに釈然としない気持ちを持ち続けている。
そもそも合併する基本精神は、合併対象のそれぞれの銀行の強み・弱みを補
完し合い、1+1=2ではなく、3以上の効果を発揮するからこそ合併の
がある、と考える。
しかしこの頃の合併は、「乗り遅れると潰れる」という恐怖感に小粒の経営陣
が苛まれ、「合併すれば最低限コスト削減は目に見えている」という単純な思い
で、その渦中に飛び込んだように思えてならない。