仏像に関する一考察その1

仏像研究
-その種類と現代的意義-

1、仏像の歴史
(1) 釈迦が生まれた時のインド社会はバラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし、神像は作られなかった。したがって、原始仏教もこの社会的背景の影響下にあり、偶像はなかった。これは、原始仏教が宗教的側面もあったが、自然の摂理を観ずる哲学的側面の方が強かったためにもよる。
(2) しかし、釈迦入滅後、仏の教えを伝えるために図画化していくが、それでは飽き足らず、釈迦の象徴として、宝輪や仏足石、菩提樹などが現れる。
    そして行きつくところは、何とか釈迦の姿を、ということで釈迦像が生まれたとされる。
(3) それ以後は、大乗仏教小乗仏教、さらにはその中の各宗派の経典に沿った様々な仏が唱えられ、それに沿った仏像が様々に制作されていったのである。
(4) このように、様々な「仏像」は、各宗派の教えを大衆に分かり易く説明するための道具であったが、何時の頃からか、神仏習合も手伝い、崇拝対象そのものに昇華し、現在に至っている。
    そこに、宗派ごとの教えの違いはなく、様々な仏像が脈絡なく崇拝され、遂には美術品の対象になっていくのである。

(5) 確かに、小生などは、日本の寺院に祀られている仏像の貌を眺めていると、精神的な安定感・安堵感に満たされるように感じ、さらにはその仏像自身の神々しさが迫ってくるように感じるときが多々ある。日本民族の独特の精神風土に根差しているせいかもしれない。
(6) そこで、以下では、仏像の種類、あるいは拠って立つ由来も知らないで、ただ単なる崇拝の対象として拝んでいる「仏像」を改めてその起源も含め学習し、改めて、この「偶像崇拝」を実践している日本人的「心」とは何かを突き詰めてみようと思う。